今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

良心は、神様が御自身の代わりに送ってくださった(2月27日)

Feb.27.2018今日の訓読のみ言

良心は、神様が御自身の代わりに送ってくださった

成約人の道」第一章 人生観 より抜粋

 このように良心は、真なる主人の姿をもって私を保護しようとするのに、裏切ったこの体、宇宙から賜り受けた一つしかない貴い師であるにもかかわらず、この先生を容赦なく手荒にあしらったこの体、また私の本然の愛の心を引き継げるように父母の代わりに送られた良心を容赦なく蹂躙したこの体です。このように心の怨讐となったこの体を、皆さんは、愛しますか。いいえ。心と体の闘いをやめさせる前には、天国はないのです。いかなる聖人も、このようなことを考えませんでした。(201-154, 1990.3.30

 

 陰と陽、性相と形状というプラス・マイナスは、相対的であって、相反することができません。しかし今日、堕落した人間には心の声もあり、体の声もあります。心と体が一つになっていません。神様に似て生まれるべき男性や女性の心と体が、どのように分かれたのかというのです。これが問題です。
 

 神様は絶対的な方なので、私たち人間においての標準相である心と体が絶対的に一つになり、神様の全体世界に和合し、一つの中心的な役割をすべきなのにもかかわらず、私たちの心と体がどのように分かれたかというのです。心と体が分かれたのが、心のままになされたことなら、神様はいないのであり、理想や統一や平和や幸福といったものの基地を見いだすことができません。(195-305, 1989.12.17

 

 神様は、遠くにいらっしゃるのではありません。私の中にいらっしゃいます。良心が皆さんの主人でしょう。夜に悪いことをしようとしても、現れて「行くな」と言い、いつでも現れて主人の役をし、どこででもお母さんのように、先生のように教えてくれるのです。ですから、この体のやつが怨讐です。体が怨讐だというのです。(201-76, 1990.3.1

 

 心と体がいつ統一できるのか、それを考えなかったでしょう。これが深刻な問題です。一生の間、心と体が闘うのですが、この闘いをやめさせる者は誰でしょうか。これが問題です。私たちのお母さん、お父さんもやめさせられません。王もやめさせられません。師もやめさせられません。聖人もやめさせられません。この心と体の闘いをやめさせられる主人は、どこにいるのでしょうか。深刻に求めてみましたか。それが真の愛だというのです。(184-211, 1989.1.1

 

 良心は、皆さんの番人となって昼も夜も皆さんを守ってくれ、皆さんに休みなく、「善なることをしろ。善なることをしろ」と言うのです。ですから、どんなに疲れるでしょうか。生まれたその日から、意識的に考えることができ、社会環境において、すべての制度を分析できる知能的起源が生じるその日から、生涯ついて回るのです。自分の師もついていくことができず、お母さん、お父さんもついていってくれませんが、生まれたその日から死ぬ時まで、永遠に  良心は、私に対して命令するというのです。神様に似なさい、聖人に似なさい、愛国者に似なさい、孝子に似なさい。そのように似ることを願うのですが、「体よ、お前は私に似なさい」と言うのです。(179-312, 1988.8.14

 

 皆さんの心と体の統一も、真の愛でなければできません。ですから心は、体のために犠牲になりながらも忘れ、また忘れ、また忘れるのです。良心は、神様の代身としての立場なので、皆さんの師の中の師です。その良心は、神様が御自身の代わりに送ってくださった、私の中心です。縦的な私です。(226-60, 1992.2.1

 

各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています

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