今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

霊的な能力に期待しては絶対に駄目(5月7日)

   

                             自叙伝  P.150


 
祝福式の時のことです。祝福式を前にした新郎新婦に、私は必ず純潔であるかと尋ねます。その日も新郎の候補者に尋ねました。「本当か?」と聞いてみると、彼が大きな声で「はい!」と答えました。そこで再び尋ねました。「本当か?」。彼はまた「はい!」と言いました。私が三回目に尋ねた時も同じ返事でした。私は彼を真っすぐに(にら)みつけて、恐ろしい声で問い詰めました。「おまえ、江原道の華川で軍隊生活をしただろう?」新郎の候補者がすっかり(おび)えた声で「はい」と言いました。「その時、休暇をもらってソウルに来る途中、旅館に入っただろう?その日、赤いチマを着た若い女と一線を越えたじゃないか。はっきりと分かっているのに、なぜ嘘をつくのか」私は怒って彼を追い出しました。心の眼を開けていれば、何を隠していても全部分かるようになっています。

 

 神のみ言よりも神通力に()かれて教会に来る人もいました。彼らは霊的な能力に最高の価値があると思ってすがりつきます。しかし、一般に奇跡といわれるものは世の人々を惑わすのです。奇跡にすがりつくのは正しい信仰とはいえません。人間の罪は、必ず贖罪を通して復帰 (罪のない元の状態に戻ること) しなければならないのです。霊的な能力に期待しては絶対に駄目です。教会が定着してくると、私はそれ以上、心の眼で見たことを信徒に話さないようにしました。

 

真心を込めて話を聞きました。信徒の数は次第に増えましたが、数十人だろうと数百人だろうと、私は一人だと思って向き合いました。どんなお婆さんでも、どんな青年でも、その人一人だけを相手とするように、精いっぱいの真心を込めて話を聞きました。私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて聞くようになります。10時間、20時間と拒まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私の真実の心の内も真摯に話してあげました。そして、涙を流して祈りました。涙を流して夜通し祈ったので、板の間が乾く日がありませんでした。板の間は私の血と汗と涙でいつも濡れていました。

 

青披洞教会は私個人の歴史を刻んだ場所でもありますが、私たちの教会の歴史をそのまま証言する場所でもあります。いくら立派に造り直しても、歴史が消えてしまえば何の使い道があるでしょうか。重要なのは端正な姿形ではありません。その中に宿った意味です。不足であれば不足なりに、そこに伝統があり、光があり、価値があるのです。伝統を尊重することを知らない民族は滅びてしまいます。

 

 青披洞教会の柱には、「いつ、どういうことのために、その柱をつかんで涙を流したのか」という歴史がそのまま刻まれています。つかんで涙を流した柱を見れば、込み上げてくるものがあるし、曲がった扉を見ても、当時の思いが蘇ります。ところで、今はもう昔の板の間が全部なくなりました。夜通し(うつむ)て祈り、血涙を流した板の間がなくなったので、その涙の跡もまたなくなってしまいました。私に必要なのはそのような痛みの追憶です。


 

開質問状&反論まとめ

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