生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
青少年よ、志を立てれば人生が変わる
自叙伝 P.326
最近の青年からは、情熱を見いだすことがだんだんと難しくなっています。人生の目的を見つけ出すことができないまま、無駄に亜ちこちきょろきょろと見回すかわいそうな青年が増えています。歴史上、偉大な指導者は、皆幼い頃から人生の目的が明確でした。彼らは、幼い頃に胸に抱いた目的を生涯大切に持ち続け、それを成し遂げようと、熾烈な人生を生きました。寝て、起きて、活動するすべての人生の営為が、未来の舞台を準備するためのものだったのです。今、果たしてどれだけの人がそのような人生を生きているでしょうか。
私たちは、偉大な人間として創造されました。何の意味もなく皆さんがこの世界に出てきたのではありません。神様は、自分のすべての愛を注いで私たちをつくりあげられたのです。ですから、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。神様がおられるので、私たちは何でもすることができるのです。
神様を愛することにより、私の人生は完全に変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族の問題より人類の苦痛を先に考える人になったのです。また、神様がつくられたすべてのものを愛そうと努力しました。山にある木も愛し、水にいる魚も愛する心で見ました。世の中のすべてのものから神様のみ手を感じようと、触覚を鋭敏にしました。
そのように、心を神様の愛に合わせて変える一方、使命を果たそうと、私が備えるべき強健な体をつくるために努力しました。いつ、いかなる時に神様が私を呼ばれても、即座に走っていく準備をしたのです、体は健全な精神が宿る器です。体を鍛錬することを怠ってはいけません。
勉強が好きで学校に行く学生は多くないでしょう。親が行きなさいと言うから行くのであって、勉強がしたくて学校に行くのではありません。最初は皆そうです。しかし、訳も分からずに学校に通っていると、勉強の味が分かるようになります。その時からは、勉強も自分からするようになり、自分の行く道も自分で求めていきます。分別がつくようになるということです。
ところが、親は、子供が分別がつくようになるのを待ちきれず、「勉強しなさい。少しは落ち着いて勉強しなさい」と激しくせきたてます。勉強して未来に備えなければならないことを、親はよく知っているからです。このままでは勉強する時期を逃し、何の備えもないまま未来に直面してしまうのではないかと心配するのです。
しかし、勉強して未来に備えることよりもっと大切なことは、志を立てることです。無条件に勉強に追い立てられる前に、将来自分が何をしたいのかを決め、自分がどれくらい役に立つ人間にならなければならないかを自ら悟らなければなりません。最近の青少年は大部分、志を立てないまま勉強にばかり没頭しています。
ある日、英語の勉強を熱心にしている学生がいたので、私は尋ねました。
「何のためにそんなに熱心に英語の勉強をしているのか」と言うと、その子が答えました。「大学に行くためです」このように愚かなことがどこにありますか。大学は目的ではありません。大学は、何々の目的でどんな勉強をしなければならないというときに行く所であって、それ自体が目的にはなり得ません。
また、お金をどのくらい稼ぐかを人生の目標に掲げないでください。私は今まで、月給を一銭ももらったことがありません。それでも、私はこのようにご飯を食べて生きています。お金は何かをするための手段なのであって、目標ではありません。お金を稼げば使い道がなければなりません。目標もなくお金ばかりを手にすれば、そのお金は必ず無駄に消えていってしまいます。
職業は、全面的に自分の素質と趣味に沿って決定しなければなりません。志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです。
世界的なサッカー選手になろうとすれば、血のにじむような訓練を経なければなりません。しかし、もし皆さんの心に抱いた志が明確でなければ、世界の頂点に立つまでのつらい訓練に耐えることができません。志があってこそ、自分を守っていく力が湧き、特別な人生を生きていくことができるのです。
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