生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
いばらの道をたどってくる真の父母
真を探してさまよう人類 『文鮮明先生み言選集第五巻』
皆さんが待ち焦がれている真の御父母様は、ほんの何十年の間準備して来られるのではありません。その期間は、人間の一生涯でなく六千年でした。そして、来られる時は楽に来られるのではありません。皆さんが楽に寝て休んでいるその時間にも、天は皆さんを探すために骨を折られたというのです。時には乞食の姿で、貧民の姿で、放浪者の姿で、囚人、迫害を受ける者の姿で、悲惨極まりない姿をなさり、人間の一番下の立場から訪ねてこられるのです。
皆さんが眠る時間にも天は涙の道、悲しみの道、暴風雨に巻き込まれる道、少しの間も休めない道を歩いてこられました。こういう道が、イエス様が歩んでこられた道であったし、また数多くの先知先烈たちが歩んだ道でした。
皆さんが楽に食べて寝て、楽に休む所にも天の悲しい声が響き、天の悔しい苦痛と号泣の声が響いているという悲しい事実を皆さんが感じなければならないのです。それを感じられないとするなら、皆さんは真の父母に愛される資格がありません。
それゆえに、皆さんは心を抱き締めて寝ながらも、御飯を食べながらもおそれ多い心をもたなければなりません。罪人の中の罪人であり、天地が認めることができない罪人であるということを感じなければなりません。私が見て感じる、あらゆる事実が足りないことを知らなければなりません。このような私を探してさまよっている神様の事情を皆さんは知らなかったというのです。
今日聖徒はそのような事情を知って、兄弟の手をつかんで号泣することができなければなりません。道端をさまよう乞食を見て、抱き締めて号泣することができなければならないし、きつい仕事をする労働者を見ても、「どうして私の兄弟があのようになったのか……」と嘆くことができなければならないのです。
顔を上げて彼らを眺めるとき、彼らを探し立てて、彼らを通じて私を探し立てなければならない天倫の歴史路程があるというのです。これを知って、会う人ごとに涙で対することができる、そのような感情に満ちた人間が地上に現れることを、神様は六千年間待ち焦がれていらっしゃるのです。ところが民族の飢えを見ながらも、腹いっぱい食べて横になっている者は、審判を受けるのです。民族はぼろを着ているのに、腹をたたいて踊る者は、審判を受けなければなりません。
では、堕落した人類がしなければならないことは何ですか。私が食うに事欠いても兄弟の飢えを切なく思わなければならないのです。私が食べることができず着ることができなくても、兄弟のために、世界人類のために生きなければなりません。そうして天が世界人類のために泣かれたのを、私によって横的に蕩減復帰しなければならないのです。天は、このような聖徒を探していらっしゃるのです。
六千年の歴史路程で、いつそのような心情をもって天に向かって父と呼んだ人がいますか。誰が天を父母と呼んで、誰が人類を真の兄弟と呼びましたか。そういう人は誰もいなかったというのです。
今日教団を率いている教職者や、信仰の路程を歩いている教職者の心は、どこでさまよっていますか。天が六千年歴史を通して切ない思いで訪ね、天の困難と悲しみと願いを身代わりした人々もこういう道を行ったのに、皆さんの体と心はどこへ行っていますか。皆さんは、このようなことを解決すべき堕落の恨みが染みている人類なのです。
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