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今日の訓読のみ言友の会

神山先生が2014年9月下旬日本を巡回講演されました。 この巡回を機に集会に参加した食口たちを連結し、正しい原理観・摂理観に立った道を歩めるよう共に学び、助け合う「友の会」を結成しました。心ある食口、祝福家庭の多くの参加をお待ちしております。

「改竄しようという動きがお父様の生きてる時から」神山先生の講話(4)2014年9月14日SEOUL

 お父様というお方の前に本当に一つにならなければいけません。そうでなければ、天運が寄ってきません。お父様が遺言として残された本があるではないでか。絶対に手つけてはいけない、改竄してはいけないと、あれほど真のお父様が言われた八大教材教本が改竄れて新しい天聖経になり ・・・・。お父様が本当に愛した天聖経は除外されてしまいました。考えられます?私には考えられない!。お父様が本当に愛した天聖経、平和神経、八大教材教本だということを私は良く知ってます。それを麗水で読まれながら善しとされたのです。それをお父様が聖和された後、即座にその本は除外されて、新しい天聖経を 出す ・・・。

 私は納得することが出来ないのです。駄目で
す!それは。あまりにもー再臨主であ られるお父様を軽んじている。私は、お父様を尊敬し愛するがゆえに黙認することが出来ない!そういうことをしてしまう、今の協会に対して、協会体制に対して、私は断固として意義申し立てる!
駄目です。神山会長
あんまりそれを強く言うと、まずいから静かにして、という方々がいます。私は認める事が出来ません。
駄目なものは、駄目なのです。お父様を尊敬し愛するがゆえに遺
言を大切にしたいのです。

「先生が語る一言一言のみ言が、数千万年の善なる人々が首を絞められ、血を流した祭壇のみ言であるというんです。死刑場で消えていく数千万の人々に知らせてあげることができなかった神様の屈折が葬られています。血の涙が絡まっているというのです」。
             
『天の心情を誰が知っていたか』より抜粋 1960年1 月 17 日


 今までの長い歴史で、神様が発表できなかったみ言です。蕩減の代価が払われなけ
れば、そのみ言は発表できなかったのです。多くの人達の蕩減の代価が払われ、お父様を通して発表することが出来たみ言です。先生が語るその一言一言には、数千万の善なる人々の首が絞められ、血を流した祭壇があり、死刑場に消えていく数千万の善なる人々に知らせてあげることができなかった屈折が葬られているのです。

 善なる人達が歴史上にいました。神様はその人達に伝えようとして、 しかし伝えること
ができなかった。神様の無念の思いが、血の代価をもってお父様という人を通して果たされたんです。そのような貴いみ言を、現体制が改竄してしまう?それは駄目です。

 私は、お父様と共に歩む中にあって忘れることのできない苦い経験があります。1991年、私が日本の会長になりました。その時にお母様がお父様の指示を受け、日本の各地でのスピーチがありました。そのスピーチ内容に目を通しました。その中に「神様のみ言を地の果てまで伝えなければいけないとい」という、言葉がありました。私には「地の果までという」言葉が曖昧に思えたのです。地の果てまでなんて言わず、「み言を世界中に伝える」、この表現のほうが、日本人にはもっと理解されるとお母様に申し上げて、その文章をわずかに変えてお母様がスピーチされたのです。

 イ
ンターネットがない時代だったので、お母様のスピーチを電話回線を通してお父様は韓国で聞かれていました。その変えたところをお父様は見つけ。そのスピーチが終わってすぐに電話がお父様からきました。「どうして変えたんだ?」それでお母様は「神山が言ったから」と・・・・、「神山に話すから電話を変われ!」と、私が電話に出ました。お父様は「この野郎!」凄い剣幕で、「どうして変えたんだ !」 その怒りはもの凄かったです。エデンの園においても取って食べてはならないという、天のみ言を、アダムエバはいい加減に扱っかった。

 「お父様のみ言は先生の言葉じゃないよ。神様からのみ言
だ!それを人間の都合で変える?」と、厳しく叱られました 。
 そういう経験を持ってます。

 その経験を持った私から見たときに、お父様の愛された天聖経を変えてしまう。考えられません。変えた人達は霊界に逝って ー 霊界に逝く時がかならず来ます。お父様の前でどう弁明するのですか?。それは大変なことになる・・・・、お父様は、また、み言の中で言われてます。「先生のみ言を変えてはいけない」と繰り返し繰り返し、そのお父様が言われておられるみ言拝読してみます。

 「先生の書いた内容を自分勝手にして、君たちは将来、先生の語った、先生の書いた内容を自分勝手に訂正しようとすることをしてはいけません。天と霊界の先生の話通りにしておかなければなりません。いくらノーベル賞をもらった人でも、アメリカの大統領であっても、有名な大学の中心者であっても、そのような人でも先生のみ言をかえることはできません。伝統は唯一つ、真のお父様を中心として、他のどんな話にも影響されてはいけません。先生が教えたみ言と先生のみ言以外にはどんな話にも従ってはいけません。今、先生を中心として、先生が霊界に逝ったらお母様を絶対に信じて絶対的に一つにならなければなりません。しかし、今、お母様が行かれる道は、お父様が今まで語ってきたみ言と八大教材教本を中心に行かなければなりません他の御言を述べるのを許しません。今度、韓国においても、御言絶対主義をとることができるように措置したのです。どのような御言も、第二の御言を許しません!」
                        
(祝福85号 P68 「祝福二世の行くべき道」より抜粋)

 「お母様がお父様のみ言を絶対視しなければならない」そう言われています。

 「先生を愛しているなら、八大教材教本を先生よりももっと愛さなければなりません。そうしてこそ、私達が行かなければならない未来の天国が準備されるのです。八大教材教本の中に全て連結されているので、自分が地上にいる、超越的な天上世界の神様の前に立つ時、道を違えることなく、一本道に通じるのです。ですから先生の教本を愛さなければならない」      
                  
(2009 ・ 11 ・ 9)

 お父様のみ言よって正された真の愛の人格をもって霊界に行くならば。霊界で皆さん
の行く道筋 は、一本道に通じるというのです。大きなビルの前に立てば自動的にドアが開くでしょう。それと同じように、み言葉によって開くというのです。それがみ言の威力だとお父様が言われたことがあります。こういうことを言うと。教会の方針に反対してる神山め、と言うのです。ご父母様に反旗を翻している?。私はお父様を絶対視しています。「そんなことを言っているとあなたに何が起こるか分からないよ」といって私を脅した人がいました。「そんなことを言っているとあなたの命があぶないよ」と。そんな脅しで私が怯むと思います?
 
 今、私は73歳になりました。いくらも余生は残ってい
ません。それと共に私は 1 年8ヶ月前に、胆管癌という病気でお腹を裂いています。一心病院で、入院し胆嚢を摘出手術をした際に、その手術で胆管に癌が有ることが発覚したと・・・ それで胆管癌手術は一心病院ではできない・・・と、胆管という細い管なので癌専門の病院に移動してそこで手術を行うと宣告されました。2013年 1 月 17 日に手術をおこなうことが決定され、1 時間、2時間で手術室を出てきたらもう命は駄目だと思ってくださいと宣告されました。結局、8時間の手術を受けました。
 
 今はどうな
ったか、薬も何も飲んでません。今、それでも生きているのですよ。「生かされてる命だ」。ならば、神様と真の御父母様のまえに私は何をしたらいいのか、真剣に考え、祈り求めました。

 2012年 12 月 21 日に我がグループの裁判問題の解決の道を求めて 日本に行きました。我がグループの問題をこの世の最高裁判所で争っている ? 私には考えられない。私達は、天法のもとに生きています。お父様のみ言に解決の道を尋ねたら解決策はあるのです。それを最高裁にもって行き、神様をはっきりと知らない人に善悪をつけてくれー。考えられます?
 私には考えられないー、何としても止めさせなければならない。止めさせられなければ大変なことになると思って日本で解決の道を探そうとしました。その時、2012年 12月 21 日に倒れて、私は日本で緊急入院したのです。

 神様が「今は駄目だ。今は話しても、行動に移しても難しい」とー 今考えてみると、私を動けないように病気にしたと思うのです。そして1年8ヶ月経ちました。「ようし、これから動くぞ!」、そう思うのです。普通ー、癌だといえば、癌がまた再発!もどってくると言います。もどって来ても来なくも、それが、問題ではない! 今、私は、生かされている。お父様が神様をお慰めした、神様の恨をといてあげようとされた。お父様の恨を解かなかったら、私の本心が私を許さない。無念の心情を持たれた、お父さま!。そうです、お父様と完全に現体制がひとつになったら、私は静かに静養しています。今の教会の幹部たちが、お母様を立ててお父様のみ言と、思想そして伝統と一つになっていたら、私は全面的に援助します。しかし私に見える今の体制は、お父様のその規律に一つになっていません。お父様の前に絶対的な基準、すなわち絶対愛、絶対信仰、絶対服従の基準を立てているなら、み言を改竄すると思います?
 お父様の遺言です。たとえ、そこに変なものがあったとしても、お父様を愛していたら。良くないことも理解して愛するものです。愛すれば悪いものも良く見えるといいます。本当に愛していたら。
 だからお父様はこう言われます「先生を愛してるんだったら、み言を変えるな」 ーと。 み言を改竄しようという動きがお父様の生きてる時から始まっています。
 私は麗水でそれを見ました。絶対に駄目だ! と何度もお父様は語らてれていました。しかしお父様が聖和された直後に新しい天聖経が平和経が出ました。その頃からお父様の願いと一つになっていません。真のお父様の指示の内容、そして方向を無視している状況を見せ付けられました。もし、お父様の指示に従っていたら全てが駄目になってしまうーと、私の前で叫ぶ人もおりました!


お父様のみ言を紹介します

「皆さん、原理のみ言、アダム家庭ならアダム家庭は死んでいません。生きています。 失敗というのは、死んだ失敗ではなく、生きた失敗として残っています。神様は、このような失敗したものを生きた標本として、勝利的基盤を築かずには、天国に入ることのできるヤコブの家庭、モーセの民族、イエス様の国家摂理があり得ないというのです。再臨主も同様です。みな生きています。原理を勉強すれば、アダム家庭は私たちの家庭と同じなのです。

 ノアも同様です。いつノアと同じ信仰を持ったことがありますか? 120年の間、アララテ山の頂上に船を造る狂った人がどこにいますか? 船を造ろうとすれば、川辺につくればいいではありませんか? ですから、どれほど反対を受けたでしょうか? 狂人と言われるのはもちろんのこと、さま ざまなうわさを聞き、さまざまな迫害を受けるようにさせたのです。東西南北に見えるすべての山の微々たる動物までも、「 あのようなぼけた人、あのような狂人じいさんがどこにいるのか」と、後ろ指を指すようになっているのです。
 
 全部が無視する立場で、神様は生きているという権威を立てたのが、ノアの時の審判だということを考えなければなりません。

 皆さんがそのような信仰を持ち、統一教会を信じ、統一教会を立てるために努力しましたか ? ノアは休みながらやったのではありません。雨が降ろうが、雪が降ろうが 120 年の間、すべての万物を収納させる船を造らなければならなかったのです。その村で寄付でもしてくれたでしょうか? 狂った老人だといって、けなしたのですアブラハムも同様です。神様がアブラハムをカルデアのウルから導き出しました。アブラハムは偶像商の長男として、自分の家を出るとき、その神様の命令を信じることができたでしょうか?

 信じられないものを信じて出てきたのです。 後には、神様はアブラハムに、「イサクを燔祭に捧げなさい」と言ったのです。アブラハムに「あなたの子孫を 天の星のように、地の砂のように繁栄させよう」と祝福したのに、100歳の時、生まれた息子(イサク)を裸にして「祭物にして捧げよ」ということは何という 命令でしょうか? 狂ったことです。誰が信じられますか?

  信じられない立場で、信じることが基盤になるのです。なぜでしょうか?堕落が信じることのできる立場で信じられなかったので、信じられない立場で、信じなければ天に対する信仰の芽が生じません。それが伝統的な信仰世界で、神様が摂理する転換時代の公式になっているということを知らなければなりません。

 アブラハムが祭物を裂くことにおいて、失敗しませんでしたか?
それ(裂くこと)が何でもないと思ったのです。皆さんも、先生のみ言を何でもないと思ってはならないのです。歴史的な宣言です。祭物を裂くこと以上に価値ある先生のみ言を、どれほどこぼしてしまったことでしょうか? そのみ言が皆さんに千年、万年の讒訴条件として残されているということを知らなければなりませんアブラハムが、小さなハトを裂かなかった失敗によって、天上天下にない摂理を中心とした、サタン世界と分立的な勝利の覇権(主義)を取り戻してくる、神様のみ旨が誤ったのです。ですから、そのみ旨の前に自分たちが今、不信するすべての態度や行動は、アブラハムの祭物の失敗の何十倍、何百倍になるということを知らなければなりません
     
「絶対信仰と絶対愛」より抜粋 1994年10月 9 日
  韓国・中央修練院 (408)


 モーセと一つにならなかった民族は、ハゲタカの餌食になったのと同様に、
今日、統一教会で先生と一つになれなかった第一世は、ハゲタカの餌食になり得る立場に立っているということを知らなければなりません 。
         
絶対信仰と絶対愛 1994年10月 9 日
  韓国・ 中央修練院にて (抜粋のみ言)
  
 
 お父様と一つになったら、わがグループは考えることができない発展があったと思いますよ。何の得があって改竄するのですか?。原本は原本として残したらいいでしょう?お父様のその原本の内容が理解できないんだったら、それを説明する本を作ることはお父様も許可しているのです。

「 歴史的環境だとか仮版を作って説明することはできるとしても、これに手出ししてはならない」
                
(479- 132 、 2004.12.3)


 原本はお父様のものとして残さなければなりません。こんなことをいうと「神山は今の教会体制に対して反旗を翻している」と攻撃します。 そうではありません!
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