今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

「自分の国よりもこの国を愛してやれ!」 神山先生の講話(3)2014年9月14日SEOUL

  刑務所に行けば、まず、素っ裸にされるんです。役人がいます。女性の役人もいました。その役人の前で素っ裸になる。考えられません。そして刃物を持ってきてないだろうか。麻薬を持っていないだろうかーと、調べられる。それを私は本当に耐えられませんでした。この国の救いの為に来られたこの方をアメリカは、刑務所に追い込んで・・・。

 どうすることも出来ない心の憤りを抱
きました。

 囚人服を着るように言われ、「そこの洗濯箱の中からとって使え」と、その洗濯箱は、囚人達が刑務所を、その日出所するまで使った物を入れる洗濯物の箱だったのです。裸の姿でそこまで歩いて、そこで服を探す姿、想像してみてください。私はそのお父様の姿を見ました。今でも脳裏に焼きついています。メシヤとしてこの地に来られ、世界の救いの為に来られた 、貴いその方が洗濯物の箱からパンツと囚人服を選んで・・・・。

 しかしお父様の何事もなかったかのように着替えていく姿。そしてベッドルームに行きまた。それは惨めなベッドルームでした。2段ベッドなのです。2段ベッド。そこには、何にもないのです、ベットのほかに。「どうやって寝るのだろうー」そのベッドは、戦争の最前線に行って働く兵隊さんの為にあるようなベッドでした。「どうするんだろう・・・・」
 ある囚人が来て、「枕も何もないよ」・・・・と。「そこにある洗濯箱から持ってきたらいいよ」と、そして私はそこに行って、その中から良いものを選んで、お父様のベッドを作って差し上げました。
 その時の私の心中は・・・・、「許すことができない。ここを出た時
には、あの検事の家に行って、検事の家族をただで置くものか!」 そんな思いになるのでした。きっと皆さんもその場所にいたらそんな思いになったと思います。

 尊敬するその方がそういう状況に置かれることに対してどうすることもできない私にー。
 お父様は私を見て「神山、どうしてそんなに心を騒がせるのか」。私は「お父様、あまりにも酷いじゃないですか」。- お父様はこう言われるのです。「先生のことは心配するな。いいから、心配するな。最も惨めなところを感謝して通過できなければ、どうして父母の位置につくことができるのか。今の時に本当の指導者が必要だ。そして父母が必要なんだ。人類の父母がいないがゆえに争いが絶えない。最も惨めなところを感謝しなくて人類の前に父母となりえるか。先生のことは心配しなくていいから」
そして
私に「神山、こう考えてみろ。最も惨めなところは最高のところに繋がる。ダイヤモンドを知っているだろう。ダイヤモンドは磨けば宝物として皆が扱うんだけど。そのダイヤモンドは石炭が熱と環境によって変化 し、ダイヤモンドになった。火をつければなくなるような石炭がダイヤモンドにつながっている」。
 
 その説明にも満足しない私にお父様は、「神山、男だろ。男してのそのものを持ってるだろう。それを考えてみろ。それは体内のいらないものを排出する器官になっているじゃないの。それと共に人間の最も尊い生命を出発させる器官ともなっているよ。そのように考えてみな! 惨めなところを感謝して行くんだ」と 。

 「神山、君からアメリカを見たら許すことができないような怨讐の国だ!、許してやれ!。そして自分の国よりもこの国を愛してやれ!」
お父様は言われるのです。

 「先生
から見ると君の国、日本は、許すことのできない怨讐になってる。しかし日本が敗戦国家になった時、惨めな状況に追われた時、先生は拳をあげて彼らを再び打とうとは思わなかった。愛して、韓半島にいた人達を万全を期して、日本に帰してやった先生だ。怨讐を愛した。だから時が経てば、若い日本の青年達が先生に命がけで従って来るのも因果の法則だよ。だから君もアメリカを許してやれ。君の国以上に愛して、そういうところから未来の理想が生まれる」と。

 このようにしてお父様は私を教育してくださいました。なぜ、怨讐を愛さなければならないのか。こうだからーこうなんだー。こうだから許さなければならないのだ!ということを私はお父様から具体的に教えられ、習いました。忘れることの出来ない貴い思い出になっています。

 刑務所の中では仕事をしなければなりません。200名の囚人が一緒に共同生活をしていて、そして食べなければいけませんね。食事も囚人どうしが作り合って食べるのです。刑務所にいる人達は自己中心的な人が多いです。人の事を何時も批判しているような人ばかり。そして自分を中心として何時も考えています。
 
 大きなフライパンがあって、そこで炒め物を作って食べるのです。例えば油を注ぎスパゲッティを作ります。そんな料理を作ると、油が周囲に飛び散るではないですか。タオルで油を拭くとヌルヌルになります。そのタオルをコーナーにあるバケツにポーン投げ入れるのです。それを洗わなければいけないのですが、囚人の中で洗う者がいません。役人が来て「洗え」と命じて、役人が見ているところで仕方なく洗うのですが・・・。
 
 お父様はそれを見て「この刑務所で一番嫌な仕事はこれだ。今日から先生の仕事に
する」と言ってそのバケツにあったものを洗い場に持ってきて洗い始めるのです。一つ一つ強い洗剤を使って洗うのです。その光景を思い浮かべてください。そしてそれを積み上げる。手の皮がべろべろにむけます。
 「お父様、私がやりますから。お父
様、されないでください」
 私が洗い場に立つお父様に割り込んでやろうとすると
 「先生
の仕事だよ。今日からの」、
 そして洗ったものを丁寧に積み上げます。ある 囚人が外
から帰って来て、それで靴拭き、洗っておられるお父様のバケツの中にポーンと投げていく。「この方をいったい誰だと思ってるんだ!」と私は内心で叫びます。お父様が憤慨している私に言われるのです。「神山、いいから。いいんだから」と、いつも私の気を静めるのです。

 そして、お父様は、刑務所のトイレの掃除も仕事に加えました。男性200名が使うトイレを想像してみてください。掃除された時はきれいなので便器の近くで用を足す。そしてだんだん周りが小便で汚れると一歩ひいて飛ばしますよ。そしてまた汚れると、さらに離れて飛ばす。そこを掃除されるお父様の姿、メシヤとして来られた方ですよ。そういう惨めな状況の中でも神様に感謝の念を持っておられる、お父様。それを見ながら私は「この方は本当にメシヤだ」と・・・・・。その状況を、その環境を消化し主管されていかれる、お父様。怨讐を愛で消化されるお父・・・・。

 刑務所で、お父様がトイレを使われます。トイレを使うのだなーと、私が察知すると先に行って、そこを掃除するのです。便器を掃除しきれいにして待ってると、お父様が来られる前に他の囚人が来てきれいにした便器を使ってしまう。使っては駄目だとはいえません。-その人が使う・・。そしてお父様が来られて汚い便器を使われなけばない状況 ー 私の心は穏やかではありません・・・・。お父様はそのような環境を本当に消化されて居られました。その様なお父様の姿を私は見てきたのです。

 私は、刑務所の中に多くのみ言集を持って入りました。近くにお父様がおられるので、以前から持っていたいろいろな疑問にたいして、質問するいい機会だと思い、み言集を持って入ったのです。お父様は、み言を読み始めた私を見て 「神山、何を読んでる? 」 「はい、これはお父様が過去に語られたみ言です」 。 「そうか、先生の前でそれを読んでみなさい」と、この 時からー刑務所の中から訓読の伝統が始まったのです。

 来る日も来る日も訓読しました。数多く読むそのみ言の中から「このみ言は大切だ。これも食口が絶対に読まなければならないみ言だ」と、そのように選別したみ言を一冊の本として編集されました。その一冊の本が “御旨と世界” というこの本です。この本は刑務所の中でお父様が絶対に食口に必要なものとして選ばれたみ言です。

 囚人達が居る所で大きな声で読むと迷惑になるということで、お父様は外に行って訓読するのです、ある時、雨が降って外で読めないので止むを得ず2段ベッドの下にお父様が座られ隣に私が座り訓読をしました。訓読している所に、ある囚人が来て「あなた達はまた本読んでるのか。その本は聖書なのか?俺の聖書はこれだよ」と言いつつ持ってきた本をベットの上に、ぽ~んと置いたのです。私は、彼が俺の聖書だと言うから、立ち上がってそれを見ました。聖書じゃないですよ。ハスラ-マガジンという最悪なエロ雑誌です。私は内心 「このやろう~。俺たちを馬鹿にするのもいい加減にしろ」と、拝読していたみ言を置いて去っていく彼の所に行こうとしました。
 「神山、どこへ行く。いいから読め」。
 「このポルノ雑誌を彼に帰してきます」
 「いいから、落ち
着いて座れ。み言を読むように」。
 読んでも私の頭に入りません。私の怒りの思いは
その人のところに行っています。それ以来、私は彼に対して悪い感情を持っておりました。ところが、お父様は廊下で彼に会う時、何事もなかったように-、
「How are you?」と。私は彼に「この野郎~」と悪い感情を抱いているのに、お父様は「How are you ~ やあ~ 元気か?」と。私はお父様の後ろをついて歩きながら「今に見てろ、この野郎~」と ・・・ 。

 それから数週間の後にそのハスラ-マガジンにお父様を批判する記事が出たそうで
す。それを読んだ彼は、ハスラ-マガジンの編集局あてに抗議の手紙を書いたというのです。彼はそれをタイプを打ってハスラ-マガジンの編集局に送ったから、「これ読んでくれと」と言って、ぽ~んと置いて行ったのです。「また、エロ雑誌か」と思いました。
 
 編集局宛てのその手紙は、「あんたが批判するようなRev.ム-ンじゃない!」と、お父
様を擁護し称える内容でした。「Rev.ム-ンのような方がもっとこのアメリカにいたらアメリカはこんな悲惨な国にならなかった」と。 「 Rev.ム-ンはどんな仕事をしているのか知っているのか笑顔でトイレを掃除していよ。これが批判だとしたら1マイルも的外れているぞ」 。 Rev.ム-ンを悪く言うんだけれども、1 マイルも的を外れたことやってる」そう彼はお父様を証ししたのです。
 その手紙が今でも残っています。もし私がその時「この野郎、ジャスティンめ!(彼の名) と言って危害でも与えていたら、そんな手紙を書いたと思います?書きませんよ。お父様の愛の前に彼は屈服しました。許しの愛の前に。彼にも良心はあります。その良心は分かるのです。お父様の彼に対する愛が ・・・・・。

 私たちが刑務所に行った頃は「ヘイ、ム-ン」って皆呼ぶんです。そして、あれをやれ、
これをやれと、言うのです。しかしお父様が笑顔をもって囚人に対していくところから囚人達が変わって行きました。「ヘイ、ム-ン」から「Mr.ム-ン」と敬語を持って呼ぶようになりました。そして1ヶ月、 2ヶ月が経った頃には「Rev.ム-ン」と皆呼ぶよになったのです。私は4ヶ月 17日で刑務所を出なければなかったのですがその頃には、多くの囚人達がお父様をどう呼ぶようになったかと言うと「Father.ム-ン」といって囚人達がお父様に敬意をもって呼ぶのですよ。

 お父様の姿を見て「ヘイ、ム-ン」というところから、お父様の歩みを通して多くの人達の心が変わっていくのを私は見てきました。私はその時「お父様のような生き方をしなければいけないのだ」、と、お父様から学びました。人に尽くし為に生きること、許すこと、愛すること、まだまだあります。

 私が、お父様の前に尊敬と共に、証なければならないことが多くあります。どういうことかというと、お父様が刑務所に入られたときに、刑務所から支給された靴がありました。本当に惨めな靴でした。考えられないような惨めな靴でした。その後刑務所の中で70 ドルのお金を使うことが許されたのです。1週間に1度、刑務所の売店が開くのです。その時、お父様は二足の靴を購入されました。1足はお母様が面会に来られる時だけ履いて、後は刑務所から支給された惨めな靴を履いて居られました。せっかく2足買ったのに、お父様はそれ使われたらいいのにと私は思いました。夏の時期でしたから、汗で匂いがつくので「お父様、その靴を洗いますから新しい靴を履いてください」と、お願いしましたら「いいから、いいから」と言われるのです。私は、「なぜだろう。もっとお父様も素直になったらいいのに~」とまで思ってしまいました。

 私が刑務所を出る時

 「神山、君に先生はあげたい物がある。君の為に靴をとっておいた。この靴を履い
てここ刑務所を出て行くのだ」
 「お父様~、けっこうです。刑務所を出たら、いくらでも靴
はありますから。お父様~どうか履かれてください」と、お願いしました 。
 「いいから、この靴を履いて行くんだ」 。
 「お父様~いいです」 。
 「先生は、君の為にサイ
ンをしておいた。神山とも書いておいたよ。それを履て行くように」

 あまりに薦められる
ので履かざるを得なくなりました。靴を履いている姿をお父様が見られ「神山、お前、靴の紐の結び方も知らないのか」と言われるのです。私は知ってます。お父様はそう言われながら、私の足元に座込み靴の紐を結ぼうとされるのです。私は後ずさりして逃げました。その お父様の大きな体が追って来るのです。その時のようすを考えてみてください。

 私はその瞬間、2000年前のイエス様の時代を思い出しておりました。
洗礼ヨハネがあまりにも偉大で素晴らしいので 、 多くの人達は彼をメシヤではないのかと思いました。その時、洗礼ヨハネはこう答えたのです、「私の後に来る方は、私よりも優れた方だ」「私はメシヤではない。私はその方の靴の紐をとく値打ちもない」と、
 
 私もお父様の靴の紐をとく値打ちもない事をよく知っております。そのお父様が私の
足元で私の靴の紐を結ぶのです。私はの本当に驚き、恐れました。私は結果的に結んでいただきました。確かに私の結び方とお父様の結び方は違っておりました。

 お父様は縦に私は横に、お父様は縦的に私は横的。確かに違いました。その靴を私は大切に保管し持っております。それは、私の宝物です。一足の靴かも知れませんけども、その中にお父様の愛の想いが込められており、その靴を宝物として私は大切にしております。今日時間があればその靴の写真をお見せしたいと思いますけども、もう時間がないですね。何時まで話をすることが出来ますか? (12時まで)あと、30分ぐらい・・・・?
 
 そういうお父様を私は見たのです。私自身本当に反省させられました。メシヤという
お方はー、その一人を見つける為に長い歴史があったということを私はよく知っています。今までの歴史上にある出来事は、結局、蕩減の代価をもってその一人を見つける為の歴史だったのです。神様が真の愛のすべてを投入したお方がお父様でした。

 そのお方が私の足元に座って靴の紐を結ぶ・・・・。
私は反省させられました。多くの
人達は、Rev.ムーンという人は権力を振りかざして威張つている、と・・・・。
 私が見た
お父様は違います。愛の方でした。神山がお父様を裏切った、と人はいいます。何を言うのか! ・・・・

 このようなお父様を私が裏切れると思います?神山がお父様を裏切
ったという彼らに対して、たまらない憤然たる思いが湧いてきます。


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