お父様がこう言うのです。
「 先生が君を用いているのもキリスト教の背景があるからだ 。そしてまた先生はアダム国 家で、君はエバ国 家だ。エバを相 対に置く立場で開拓しないといけないから君を立てた 。だからキリスト教の背景を持ったエバ国家の神山だから君を使う、そして、み言も良く勉強し原理講義もできると聞くから ー用いるのだ。 先生はアダム国家。だから世界を開拓する時にはアダム国 家とエバ国家で開拓していくの だ」と 。
その時にお父様はこう言うのです「神山は名古屋教区でよく伝道して実績をだしているから 先生と一緒に旅行しよう ~御褒美だ~」と 。1972年11 月のことでした。
「実績をだしているから先生と一緒に旅行しよう」 お父様が言われる実績とはどのようなことだったのか話してみたいと思います。
1968年韓国 に 日本の責任者が訪問 し お父様が主管された会議がありました。
その会議で突然大きな声でお父様が「神山!名古屋に食口がどのくらいいるのか?」
と聞かれたのです。咄嗟に私は、はい! 300名近くおります 。褒めてくださるのかと思い反射的に答えたのです。その時のお父様の微笑むお顔が忘れられません。
「そうか300人も居るのか!」 ハイ!居ります!・・・。褒めてくれると 思ったから力ずよく「ハイ!」と返事をしたのにそうではなかった 。 褒めてくれなかった。
お父様が言われるのです。その300名の半分の150名でいいから先生が必要とするので名古屋から人事異動する 。世界復帰の経済基盤をつくるために ・・・・。
え、ええ・・・、150名が名古屋教会から人事異動・・・ 。お父様がこうも言われたのです。150名が使う車両も準備するように 。150名が使う車が何台になると思います。 15名乗りの小型バス10台(ハイエース)総額いくらになります。そんなお金は名古屋に有りません、名古屋教会はどうなってしまう ~~ 基盤が崩れてしまう。
崩壊してしまう、150名も出してしまったら・・・ 。困惑している私の様子を察したのかお父様がはっきりした口調で私の顔を覗き込むように促すように言われるのです 。神山君 ! その 150名は若い人、健康な人、内外ともに優れている人から順番に選ぶように・・・・。「 いいね!わかった! 」 ・・・。 「心配するな! 神山 ! 」
君は名古屋を中心に考えて心配する。先生は世界そして日本を心配した立場から名古屋を見ているし、心配している。神山よりもっと先生は名古屋を心配していると言われるのです。その時の私の複雑な気持ち分かります ?お父様は名古屋の事情が分かっていない!分かっているならこの様な無理難題を押し付けるわけがない、反発するような心の動き・・・が・・・。褒めてくださると思ったから 300名と言ったのに~この様になるんだったら言わなかったらよかった~、と。その時そう思ったのでした。褒めてもらいたい自分、そして名古屋を優先して考えている自己中心
的な自分を発見し反省しながら名古屋に帰って来たのですが、再び悩みの中に自分との葛藤ー。 食口数人のまえで、お父様とこんな約束してきた! 約束してきてしまったと語り、 どうしよう~どうしたらいい~私がぼやく ・・・・。
ある姉妹が私にこう言うのです。地区長やりましょう~と。地区長がいつも講義の中で個と全体の関係を説明しているじゃないですか! 全体を優先しない個人目的はないし個を保護しない全体目的もない ・・・ と。より大きな目的のため生きれば神様が責任持ってくれるし 保護してくれる~やりましょう~と。その姉妹に私の信仰姿勢を正され悔い改め、そうしてようやく150名 を選抜し、すべて送りだしました。人選は本当に大変でした。送り出した後の名古屋教会の日曜日の礼拝、礼拝堂はガラ空きになってしまった。 運営経費も底をついた。 神様が責任取ってくれる霊界が援助してくれると思うのですが心の奥深くで・・・・ 本当かな~ と。疑う心が、不信する心が動き出す。その心を正しては悔い改め祈る日々でした。
その後、信念を強くして伝道に全力投入しました 。150名の人事で残った 兄弟姉妹と一丸となって、お互いに助け合って、無我夢中で伝道したのです。月、火、水、木、金、土、日、休みなく原理講義、 講義の連続でした。150名送り出した後、6 ヶ月過ぎたころには新しく150名の人達が入教 し献身する人も多く出てきたのです。奇跡を見るようでした 。神様が責任取ってくれた、霊界が援助してくれたと肌身で感じるのでした 。今では懐かしい思い出として記憶に残っております 。
話を戻しましょう!
伝道して実績をだしているから先生と一緒に旅行しよう~御褒美だ~」、と。
旅行するんだったらいいですね。 (笑) 私はその頃、語学に対しては自信がない 、能力がないと自分で決めつけていました 。英語にも韓国語にも自信がなかった。だから 絶対 に海外 に出ないし 海外宣教師にはならない。もし世界の「ため」に生きなければならないとしたら名古屋教区、そして、 この日本から世界に必要な人材をたくさん送り出すから、それで許していただこう。でもお父様は「よくやるから先生と旅行しょう」。旅行するの だったらいいじゃない。(笑) といってお父様に呼ばれて行きました。
そして40 日間くらい、いろいろな所にお父様と共に巡回しながら時を過ごしました。
それから一ヶ月、40日が過ぎたころ、そろそろ帰らなければいけないに、旅行も終わったし帰らなければいけない。名古屋からも連絡が来て早く帰 ってくださいという。今日こそ お父様に日本に帰ることを話そうと(胸から首まで手を動かすジェスチャー)、お父様が聞いて下さると思ったら、違う話をされてしまう。チャンスを失うことが多くありました 。
そして、いよいよ今日は絶対に話そうと決めた日突然お父様がこういうのです「君、神山!先生とこれから一緒にこのアメリカでやっていこう」え 、 ええ 、なんですか、お父様 ・・・・ 。お父様、私は英語もできないしだめです。「死んだと思えばいいじゃないか」「 お父様、私は英語ができないです。語学力がありません!」「何を言っているんだ!」。「英語ができないからだめだと? 君、言葉もできない人がこの世の中に生きている。耳が聞こえず、話す事が出来ない人も生きているじゃないか。それから見れば君ずっといいよ 」。(笑) 死んだと思えばいいと言われて、決意せざるを得なくなり、それから3年は日本に帰ることが出来ませんでした 。
日本にすぐ帰 るはずだったのに ・・・・ 。
「君のこれからの仕事を言う、先生は世界を救うために責任をもった者として、このアメリカにきた。だから今まで韓国にあってもいつも公の前に立つことができなかった。いよいよ世界的な立場にあってアメリカを基盤として世界に宣布しなければいけない天来のみ言があるのだから、君、その場を準備するように」。
「お父様、私は英語が ・・・」。「そういうことを先生の前で言うな」。
それで最初に準備するように言われた仕事は、カーネギー・ホールという 会場での大会です。そこに1300名の人が入る会場を満杯にせよ。しかも 3 日間 。
「3日間の大会を先生やるから、その会場を満杯にせよ。それは君の責任だ。エバ国家の君の責任だ」。準備するために日本から宣教師が送られて来たけれども皆、言葉ができません 。
ヨーロッパからも来ました。その僅かな人たちと共に準備しければいけない3日間です。兄弟姉妹、無我夢中で働きました。言葉もわからないなかで。
それである食口が路上に出て行って人を引っ張ってくるのですけれども
「Come on ! come on ! come on ! 」
あとはしゃべれない。 (笑) そして連れて来て、堕落論の講義、何を言うかというと
「 アダム、エバ、いちゃ、いちゃ、No No! No No No No. 」(笑)
もちろん~今は違います。今は立派に流暢に英語を話してい ます。
私は別ですが・・・・。それで、だれを連れてきた、売春婦を連れてきた。路上に立っている売春婦を教会に連れて来る。(笑) そんな状況の中か ら始まったのです 。
ですからカーネギー・ホールの大会は、1300名の会場を満杯にすることが出来なかった。上の席が空いてしまったのです。お父様の前に ‘ 絶対やりますから ’と言ったのですが ・・・・・・ 結果は満杯にすることが出来なかった。お父様に申し訳ないという思いで一杯でした。
3日間の大会が終わった時にお父様に最終的な報告をするためにお父様がおられるベルベディアという 所に行きました。 そ の 時 お父様がちょうどドアの入り口の所に
立っていらっしゃいました。そこに私は行って、お父様の顔を見るなり申し訳ない思いと無念の思いとで、私は泣き崩れてしまいました。
すみませんでした !と 涙で謝りました 。
お父様がそれを見て「神山、泣くな、泣くな、その口惜しい思いを、先生マディソン・スクエア・ガーデンで大会を計画したから、その口惜しい思いをそこで取り戻せ」。 (笑)
私はその時マディソン・スクエア・ガー デンについて何も知らなかったので、次の日に私はお父様の言われるマディソン・スクエア・ガーデンに行ってみました。
会場に入ってその会場を見渡しました。その広いこと広いこと25000~ 30000名入る会場です。高い所に立って、全体を見ました、これを満杯にする ?誰が、この私が責任者で?!本 当に足ガタガタ震えました。それでお父様の所に戻って来て、お父様、マディソン・スクエア・ガーデンよりも 他の会場がないでしょうか 。「マディソン・スクエア・ガー デン―やるの だ!できるのだから!」カーネギー・ホールの大会 1300名すらできなかったのですが・・・・ お父様・・・ 。
「何を~ !? やるんだ ぁ~!」 その時のお父様は若かったです。アメリカに行かれた当時のお父様は、気迫も迫力も人並みではなかった。ずば抜けていました。
「やるんだ! 先生と一つになれ。先生の心情圏と一つになれ。先生の指示に絶対服従していくのだ、できるんだ、できるのだ!」。
真のお父様に励まされて始まりました。食口一同、無我夢中で頑張りました。いよいよマディソン・スクエア・ガーデンでの大会の当日、会場には人が集まってきました。会場には25000名、 30000名の人が入って。外に は約25000名の人が溢れて会場に入ることが出来ない人達で押すな押すなの混乱状態・・・。
その時私は。ヤッター! (笑) そうでした 。
それでいよいよお父様のスピーチが始まりました。お父様のスピーチが始まって、しばらくしてから、ある人が、椅子の上に立って、スピーチを邪魔するのです。お父様のことを ‘偽キリスト~ !!’ と叫ぶのです。その会場がざわつきました 。
その会場を準備するために心血を注いだ私達は邪魔されてなるものか~ ! 駆け寄り、あっという間に私はその人の後ろにいました。ズズズっとひきずり降ろして (笑) その力がどっから出たか知らないけれども、そのまま連れ出しました。その後から警察官がついてきた ・・・ 。 (笑) その会場全体がまだざわついていました 。
しかしその時お父様が歌を歌い始めたのです。花が咲くね。花が咲くね。 という歌。それをずっと歌って、その会場を静かにさせ主管されました。その歌、皆さん知っていますか? 花が咲くね。(山有花) 山有花? そしてそれを歌いながら会場を静めて、またお父様のスピーチが始まった時、それは、それは感動的であり劇的でした 。
25000名の人たちが ‘うわああ’ となっているのを、それを、静かにおさめて 主管されていくお父様は格好良かったです。後で聞いてみると騒いだのは 、韓国人の既成教会の人だったとのことです。
そして次の日。特に動員のために働いた食口たちが集まっての祝勝会です。
その時、お父様は私を呼ぶのです、「神山~ !! 」、「はい」 。
「次の大会はヤンキー・スタジアムだ。(笑) 動員責任者で君がやるのだ。
人を集めてくるように。そこに5万人を集めろ」。
「 え 、 え 、 え、お父様 ~ 言葉ができないですよ~ 私は!」「 またそれを言う 」 。
5万名が入るヤンキー・スタジアムの大会は6月1日、「先生と一つになれ!
先生の心情圏でやるんだ。先生と一つになれ。一つになればできるのだから」真のお父様に励まされ、その大会の準備を無我夢中でおこないました。
いよいよ大会の当日。朝から雲行きが良くない。真黒な雲がヤンキー・スタジアムの会場の頭上にのしかかってくる。これはどうなるか。大会は何とか神様が守ってくれるだろう。お父様が再臨のメシヤだから守ってくれるはずだ。大会が始まる30 ~ 40分前、その真黒な雲が弾はじけ豪雨となり バケツで水をこぼしたように・・・。
60マイルの突風が吹きまくったというのです。ヤンキース・タジアムはスリバチ型ですので。風が竜巻のように吹きまくり準備していたデコレーションの全てが風と共に飛んでいくのです。外の様子を早くお父様に知らせなければと思い、お父様が控えて居られた(野球選手が控える場所)お祈りをしておられる所へずぶぬれになった姿で報告にいきました。お父様! だめです!神様がこの大会を見捨てたようです。神様が見捨てました! 神様が見捨てました。
真のお父様が怒鳴って「何を言っているのだ!最後までやってみないと分からないじゃないか。やるんだ最後まで、ここで!」
すごい剣幕、丁度、お父様が座られて居られる後ろの壁に大きなお父様の
顔写真のポスターが貼ってありました。そのポスターが風もないのにバサーと音を立てて外れ落ちるのです。大きなポスターが縁起の悪いこと。 (笑)
激しいお父様のプッシュに押され外に出ました。益々激しく雨が降っている。
いやあ ~ 私はどうすればいい。どうすればいい ! 困惑していると 一人の人が歌い始めました。 You are my sunshine. あなたは私の太陽です。その歌を雨の中で ・・・ 一人から二人へと広がっていき最後には会場全体に広がり集まっていたお客さんまで立ち上がり一緒になって歌う。一つになって歌う、その歌で本当に一つになったころ、皆の心が一つになった時、風と雨がパタッと止んだのです。真黒な雲が、ヤンキース・タジアムの頭上 に伸し掛かっていた黒い雲が切れて太陽の光が射し込んでくるではありませんか。それは劇的であり感動的でした。 (拍手) 。
一斉に動き出して、めちゃめちゃになった会場の整備のため、命令ならぬ命令で皆動き始めました。こうして、こうやってと準備するのだと本当は私が指示しなければならないのにそんな時間がない。私は茫然として立っていました。皆が動き出した。ある人は会場の外に出たお客さんを連れ戻 してくる、ある人は会場を再整備していく。その時私は感じました。命令ならぬ命令でそれぞれが動き出た、天が働いたんでしょう。霊界が援助したのでしょう。
お父様が壇上においでになる時にはきれいに会場が整いました 。
そしてお父様がヤンキース・タジアムにおいて語られるお父様の姿は本当に感動的あり素晴らしかった。このような事を私が言うと信じられないかもしれません。
神山が言うから嘘かも知れないと思うかもしれませんね。
現在それがフィルムに残 って います 。
( ビデオ上映)
竜巻が会場のデコレーションをみな吹き飛ばしました。私はこの経験を通して知ったのは、真のお父様と一つになることが勝利の秘訣だということでした。
一つになることの大切さを身をもって感じさせられました。
ヤンキー・スタジアム大会が終わって、また祝勝会がありました。私は大会の勝利を心から喜ぶことが出来ませんでした。何故かというと、5万名の人が集まったといえヤンキー・スタジアムの会場の上の方の席が少し空いていたのです 。
あの天候の中で5万名の大会を良くやったと言うのだけれど、私の心は満足していなかったのです。だから私は祝勝会の時には後ろの方にいました。 お父様の顔をまともに見る事が出来なかったのです。その私を真のお父様が見つけ
「神山~!口惜しいだろう」。
私の心をよくお父様はご存知でおられました。
「その口惜しさをワシントンモニュメントの大会で取り戻せ!そこに30万の人を集めろ! 」。「神山の責任で!」 (笑) その時、ワシントンモニュメントの大会は何年か先かと思いました。「9月18 日に大会をするから準備せよ」と何年か先の9 月18 日かなと・・・思っていました、ところが「3 ヶ月先の9 月18 日だ、準備せよ! 」、 ええ、3ヶ月先の9月18 日 !」 ・・・ 。 ヤンキー・スタジアム大会で全ての資金を使い果たし借金だけが残っている状況でした。私がお父様に申し上げました、お父様!お金がありません! お父様、もう資金の面でも難しいですと ・・・・・・ 。お父様の答えは「やるのだ!やれるのだ!」
あの時のお父様は強く激しかったのです。お父様は「先生と一つになれできるから」。
1974 年 8 月 27 日
真のお父様のみ言葉を紹介します。
どれほど真剣だったか。ワシントン大会を決行しようとする過程において、様々な障害がありました。多くの人々が、「ワシントンでそのような騒ぎをするのは、ためにならないから取りやめてはどうか」と進言してきました。統一教会の幹部の中にさえ、「財政的にも技術的にも、困難が多いから、今ワシントン大会を行うことは不可能だ」と言う者がいました。
しかし先生は、断固として言いました。「これは先生の一生一代の勝負である。いかなる犠牲を払っても、成し遂げなければならない。私たちのもてるすべての力をこの勝利のために捧げなければならない。それは神のために捧げる供え物なのだ」と。
先生は、ワシントン大会は、レバレンド・ムーンのためのものではなく、神自体にとって、のるかそるかの大勝負であり、それだけに、先生以上に、神御自身が必死であることを知っていました。だから必ず神が働き、私たちはきっと成功するだろうということを知っていました。それが、その時の先生の確信となっていたのです。
一九七六年九月十八日、大会が始まる前の先生の気持ちは、正に死刑囚が死刑を執行される日のように真剣なものでした。その数日前から朝食と夕食とを取り違えるほどに時間の経過すらも分からないほど、必死だったのです。九月十八日の大会は、正に復帰摂理歴史上における最大の善悪闘争の時であり、統一教会の浮沈をかけた一大決戦であました。これに勝利するためには、何としても神と霊界の協力が必要です。しかし神と霊界が働くためには、何よりも人間が命懸けで頑張らなければならないことを、誰よりもよく知っていましたから、先生はそれこそ真剣だったのです 。
御旨と世界 P.572
結果的にワシントンモニュメントに30万の人が集まりました。またそれは奇跡的な出来事であり、感動的な出来事でした。当時の写真を皆さんに紹介します 。
これがワシントンモニュメントに集まって来た人たちです 。
お父様が働く人たちを励ましてくださった時、いろいろなことがありました。
報告をしながら、いつも、いつもお父様が強調されるのはー
「先生の心情圏と一つになれ、できるから」ということでした。私達もお父様の心情圏を求め無我夢中で頑張りました。私も若いですね ~ 、この頃の写真を見れば 。(笑) 今は髪の毛が白くなりました。そして大会は成功のうちに終わりました。
その後、多くの人々が社会に影響を与える、Rev Moonの活動を恐れはじめ たのです 。このままレバレントムーンをアメリカに居住させ たら大変なことになる。 何とかして追放する道を彼らは模索し始めたのでした 。その時代お父様は 、ニクソン大統領を押したてながらアメリカをまとめ世界の復帰を願われたのですが。お父様の願いの方向にニクソン大統領そして国民は動きませんでした。
国民が動かない。国民はニクソン大統領を糾弾するためにいろいろなことをやりました 。それを見ておられたお父様は、国連の前で一週間の断食を決行しながら‘ 許せ 、 愛せ 、 団結せよ ’ というメッセ ー ジを送りました 。
メッセージの中から抜粋した、その個所を拝読します 。
今日我々はアメリカの諸事件について、何が間違っているの、誰が悪いの、どうしなければならないの、といった多くのことが取りざたされているのを耳に致します 。悪意に満ちた非難が、今やアメリカの日々の主食となりつつあります。憎しみと苦しみとが人間の魂をしめ殺しつつあります。
ある者は「大統領を弾劾せよ」と絶叫しています。意見は分裂し、議論は果てしなく続きます。大統領はその職に留まるべきか、また、職を辞し、あるいは、裁判にかけられるべきかと。
我々はすべて、アメリカが自分でその大統領、ジョン・F・ケネディを
一九六三年、暗殺したのを目撃しております。しかし、今日、多くの者はその事に気づいておりませんが、アメリカは再びその大統領を緩慢な過程で殺しつつあるのです。一発の弾丸がケネディの命を奪いました。しかしその同じ弾丸が国民を共通の悲しみと悔恨の思いで一つに団結せしめたのです。
今度は、憎しみと非難の弾丸が大統領を破滅させるばかりではなく、そのまき添えで国全体を奈落の底に引きこむ恐れなしとしません。
憎しみの戦いに勝者はいないのです 。
私はこの国の将来について深く心を痛めております。アメリカは致命的な打撃を被ったと信じている者さえもいるのです。しかし、アメリカ歴史上空前のこの危機の瞬間にあっても誰ひとり「何が神の御旨なのか」と問う者がいないというのは奇妙なことであり、失望を禁じ得ません。
私はこうべを垂れ、アメリカの心臓の鼓動にじっと耳を押しつけます。しかし、神からその解答を得ようと求める人がひとりもいる気配がありません。我々は批判をし続け、その間に国は傾いてまいります。 ── もっと批判すれば、国はさらにいっそう深く、より大きな危険のうちにはまりこんでいきます 。
答えはやってまいりました。神が語られた最初の言葉は、「許せ」というものでありました。アメリカは許さねばならぬ。これまでたとえどれほど悪いことが行われたにせよ、どれほどの過ちが犯されたにせよ、アメリカにはなさねばならぬ神聖な行為がある。アメリカは許さねばならぬ。ウォーターゲート事件は確かに過ちである。しかしそれは、ひと握りの数の人々の過ちたるにとどまらず、人類の過ち、ア メリカ国民全体の過ちなのであると。
主の祈りにはこうあります。
「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもお許し下さい」と。もし神に我々の罪を許して欲しいと願うのなら、まず始めに互いに許し合わなければなりません 。
イエスの福音は許しでありました。彼は立ち上がって彼らにこう言われました。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げるがよい」と 。
あなたがたのうち一体誰がその最初の石を投げる者となるでしょうか?
今は自分の指導者に石を投げている時ではありません。今はお互いに石を投げ合っている時ではありません。
アメリカの今日の危機は乗 り越えることができます。我々は神に対する信仰を再び燃え立たせ、我我自身を愛によって再統一しなければなりません。アメリカの運命は世界の運命と切り離すことはできません。アメリカの安寧は神の御計画に影響を与えます。神はこの国を現代の摂理における代表選手として選ばれました。
数年先の建国 200 年祭を迎えるに当たって、神はアメリカをウォーターゲート問題でテストしておられるのです。アメリカは愛と許しの心によって一つに団結できるということを実証しなければなりません。神に対する信仰を今ひとたぴ更新せしめようではありませんか。ここにこそアメリカの力の源泉があったのです。
アメリカは神のみ旨に生きなければなりません。その他に選ぶ道はありません。
「神を信ず」というこの四文字のうちにアメリカが生き残り、繁栄し続け得るか否かのすべての鍵があります。アメリカ は神のみ旨に生きなければなりません。アメリカのこの歴史の交差点にあっての 神の命令は、「許せ、愛せ、そして団結せよ」ということであります 。
しかし、国民が理解できず、世界復帰の摂理をニクソン大統領を中心に成そうとしたお父様の計画が難しくなってきまし た。「 その蕩減のために先生は刑務所にいくんだ。その責任はアダム国 家にあるし、そしてまた エバ国家にもある。ニクソン大統領 と アメリカ 国民の失敗を償うのだ。だから君は先生と一緒に刑務所に行くようになるだろう」と ・・・・・ 」。