先生の思想と願い、そして信条と姿勢
み旨と世界:99,678,679,556,554,615,607,611,612,559,563,526,816,817,826
自分を中心としての祈願書を書いて神様にお願いする・・・祈祷する・・・?
あまりにもお父様の考え方そして思想からかけ離れているとは思いません?・・・。
神様は二性性相の中和的主体
そして神様を天のお父様と呼んでいた昔からの伝統を変えて真のお父様の聖和以降に、天の父母様と変えて祈るようにしなければならなかった、その動機は ・・・?。真のお父様が「天のお父様」と涙で祈祷されておられたので、そのままでよかったではないですか。何故変える必要がありますか?
変えなければならなかった動機は? その理由は?・・・ 考えてみてください!
お父様のみ言を紹介します。
「原理」では、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だといいます。二性性相でいらっしゃる神様御自身の分性的実体としてアダムとエバを造っておかれ、彼らが成人して愛を中心として横的に連結するようになる時、縦的な立場で中心になろうとされたのです。それは何の話かといえば、アダムとエバが成熟すれば、神様の男性性稟はアダムの心の中に、神様の女性性稟はエバの心の中に入っていくというのです。かといって、神様が分かれるのでありません。そのような二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。
神様は二性性相になっているでしょう?「原理」で論じている二性性相の主体としていらっしゃる神様は、どのような方ですか。二性性相の神様であると同時に、二性性相の中和的主体としていらっしゃいます。その主体の本質は何ですか。
愛だというのです。絶対的愛だというのです。
二性性相の実体圏は、真の愛により、神様の相対として立って神様に帰るのです。正、分、合です。一つだった性相と形状が分かれたのち、実体として再び会う、それがアダムとエバの祝福です。ここに神様も来て一つとなり、男性と女性も一つとなって、ここですべて統一されるのです。これが先生の偉大なみ言です。
宇宙の愛の根本はどこでしょうか。神様です。神様の愛がどこに行って結合するかというときには、ここで論理的整理をどのようにするのかが問題です。
神様がアダムとエバを造られて、二性性相を分立し、中和的存在になろうとするなら、何を中心として中和的存在になるのでしょうか。愛を中心として中和的存在になるのです。格位においては、男性的主体格をもったというのです。
宇宙の根本 「神人一体と愛の理想完成」 より抜粋 (375)
皆さんが神秘的な境地に入って祈るとき、人間は被造世界の中心ですが、この宇宙の中心は何かと尋ねれば父子の関係だという答えが得られます。 宇宙の中心は何か?
一言でずばりと結論付けて、父子の関係だというのです。
これを普通の人は自分を産んでくれた母親と父親のことだと思っています。
父子の関係というものを普通考えるときの自分の母親と父親、すなわち人倫道徳を中心とした父子の因縁をいうものと思っているのです。そうではありません。それを立体的な立場で見ると、神様と人間が父子関係の情を中心として一つになっている、その位置が宇宙の中心だという結論が出てくるのです。
み旨にかなった子女指導P.175
このような真のお父様のみ言から考えたときに、神様を神様と呼ぶより、天のお父様と呼ぶほうが 自然であり、もっと近くに感じます。神様を天の父母様と呼ばせる今の組織に違和感じます。英語では Heavenly Parents 日本語に訳すと天の両親となります。
天の父母様を英訳すると Heavenly Parents か Parents of Heaven となります。
二性性相の中和的主体である神様を父と母に両親に分けてしまっています。この様な考え方がお父様が主張する思想でしょうか?
お父様の基本的な考え を整理してみます。
* 二性性相の中和的主体である神様が父と母に分かれるのでありません。
* 正、分、合です。 神様は「正」一つということ です。
二性性相の中和的主体ですだから「正」です。
* 神様と人間が父子の関係だというのです。愛を中心として中和的存在になる。格位においては、男性的主体格をもったというのです。
これは お父様のみ言葉です。
* 原理講論にもこう書かれています。「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う」とあります。み言を中心に考えた時に神様を天のお父様と呼び祈祷することが極自然だと思います。
祝福を受けた夫婦は、夫と妻は真の愛を中心として一体となる。妻は夫に完全に同化してしまうと二性性相の中和的主体である神様の似姿になるからそこに初めて夫と妻の心の中に神様が臨在することができるというのです。
絶対「性」 その境地を求めての信仰生活と考えてきました。その境地に達すれば神様からの相続権、同参権、同位権、 同居権が与えられ偉大な力がそこに生まれるのです。無限の力が存続し始めます。神様の愛の心情が連結されるからです、とお父様から学びました。
二性性相の中和的主体であり性相的な男性格主体である神様を天のお父様と呼ぶことができるということは貴いことです。素晴らしいことです。そう思いません~。
お父様のみ言葉を拝読します 。
「サタンは知恵がある。サタンは頭がいいよね。利口だから、先生のやる方法をまねて自分は中心に立つ。そういう者、たくさんいるんだね。自分の欲望を中心としてやる。それは宗教の中で最悪の者だ。その目的は何のため?自分のために。名目は日本とか神とかそういうんだけれど、自分のためである 。
先生がみんな出発点になっているのに、それを全部さておいて自分のものにする。他人の金を持ってきて自分のものに使うのは泥棒だね。強制的に何の許可も得ずして自分のものだと片っ端から主張するのは強盗である。そういう人を見てみなさい。
自分の内部でやられてしまうだろう。これをはっきりさせるんだね。分かりました? 」
御旨と世界 P.860
私が真のお父様を裏切ることができると思います?
日本はエバ国家として愛され。私は真のお父様から多くの愛を受けました。実の息子のように愛してくださったことを忘れることが出来ません。
お父様は、薫陶と訓戒 をもって私を導いてくださいました。
また、無理難題を押し付けられ、自己否定しなければ一歩も前に進むことができない状況に追われたことも多くあります。私の心の中に潜むサタンを分別するため、サタンとの戦いに勝利させるために、私に敢えて与えた無理難題だと感じることができたとき本当に感謝の思いに変るのでした。 お父様の深い愛を肌身で感じている、この私が真のお父様を裏切ることができると思います? 。
真の御父母様から愛された証拠写真を沢山持っております。見せますね・・・・・。
私は真のお父様を絶対視しております。私は、真の御父母様を裏切 るようなことは出来ません!今も昔も御父母様に対する忠孝心は変わっていません 。
アメリカ在住するある日本人が言うのです。主権が変わったのに。お父様は霊界に行かれてお母様の時代なったのに、なぜ古い主権に懸命しがみついて、お父様のみ言、み言と言って、いつまでも丹心歌を歌っているのだ ・・・・・ と。
「丹心歌とは、高麗が滅びて朝鮮ができた時に、高麗の王様に仕えた臣下が新しい時代の主権者ではなくて元の高麗の王様、滅びゆく王様 に仕えていくと誓った歌です」
私は強く反論しました。何を考えているんだ!父母様は一つですよ。何故二つに分けて考える。お父様が霊界にいかれてもお父様の位置は主体でありお母様の位置は対象です。対象が主体の位置を奪うことは出来ません。主体と対象が一体となって夫婦が(夫が+妻が-)一体となって天地の前に現われなければならない、これが原理ではないでしょうか。
私が信じる真の御父母様とはお父様を先きに立てての真の御父母様でありお父様があってのお母様であり御父母様があっての私達と考えます。こう考える私が間違っているのでしょうか? 御父母様を裏切ることになるのでしょうか?
真のお父様のみ言を紹介します。
*"天地人真の父母" はお父様とお母様が二人ではなく一人である。
* お父様とお母様が、別々 "ではなく、ひとつなのである。
別々に動いては滅んでしまう。
* 安州(お母様の故郷)と韓氏(お母様の名字)は、自慢してはいけない!
そんなことをしては、母親になれない。
* 天地人真の父母" は、二人が一つとなって、天地の前に現われなければ
ならない。
2012年1月19日(木)天正宮訓読会
真のお父様が語られた貴いみ言
私は、真のお父様が語られた貴いみ言を絶対視しておりますから、毎日祈りつつ見つけたみ言を「今日の訓読み言」と題して多くの方々に配信しております。
2009年11 月 25 日から始まり 2014年6月18日の今日で4年7 ヶ月となりました。1719の抜粋したみ言を既に配信しました。ダンベリーの刑務所で真のお父様が膨大なみ言の中よりお父様ご自身が選抜されたみ言が「御旨と世界」と題して編集されました。
このみ言で教育するように、必要なみ言のすべてが入っている。み言で教育しないから色々な問題がおこるのだ、み言を重要視せよと言われたことが忘れられません。8大教材教本を大切にして全ての問題の解決をみ言の中に求めなければならないと私は思います。真のお父様のみ言を最重要視し実践することによって全ての問題が解決されると確信しております。
お父様が遺言として残した、み言を変えてしまう。それはないでしょう。この世でも親が遺言を残したら大切にするでしょう。それを変えて平和神経が平和経に、お父様が愛された黒表紙の天聖経が赤表紙の天聖経にそして父母経 ?話になりません。再臨主であり、真のお父様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従して行かなければならないのに ・・・・ 。
真のお父様が愛された天聖経、平和神経を改竄してしまう、お父様の思想から外れた今の組織は私から見れば~分派活動以外のなにものでもありません。皆さんはどう思います。
私は麗水で2年の間多くのことを見聞きしてきました。お父様の真心を踏みにじるようなことを ・・・。無念の心情を抱いておられたお父様お姿が・・・・・ 。
今も 私の目に焼 き付いて い ます。
「私が座る場所、立つ場所がどこにありますか。太平聖代がどこにありますか。そのようなことを誰よりも苦労し、誰よりももどかしく、誰よりも身もだえした人がここにいる、名前は何かというと、『文龍明』だ」
第 53 回真の父母の日を迎えた天基3年天暦3月1日
(陽暦 2012 年 3 月 22 日)
お父様のみ言葉を拝読します。
人類のための遺言。真の父母様は、すでに人類のための遺言を準備し残しました。
一生に六度もの生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言です。永遠なる人類の教材、教本として八種類の本を残しました。巻数で言えば1千余巻を越える分量です。『文鮮明先生マルスム選集』千二百巻、『原理講論』、『天聖経』、『平和神経』『家庭盟誓』、『天国を開く門・真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、このような八種類の書籍です。これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です。人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。それは、天がかわいそうな人類を救援するために下さった
天道を教える教本だからです。
「平和指導者追慕統一昇華祝祭記念大会」
先生の書いた内容を自分勝手に加減して・・・・
君たちは将来、先生の語った内容、先生の書いた(八大教材・教本) 内容を、自分勝手に加減して訂正しようというような思いを持ってはなりません。そのようなことをした場合には、先生の200巻以上の説教集が皆飛んでしまうのです。分かりましたか?(はい)。天と霊界の先生の話のとおりにしておかなければなりません。いくらノーベル賞をもらったアメリカの大統領であっても、有名大学の出身者であっても、その人の意見で先生の話を変えることはできません。
(ファミリー 93 年 9 月) 「日本人特別修練会における御言」
1993 年 4 月 16 日アメリカ・ベルベディアにて
伝統はただ一つ!
「伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。今、先生を中心として、お母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が今まで立てた御言と説教集(八大教材・教本)を中心として、行かなければならないのです。他の御言を述べるのを許しません。今度、韓国においても、御言絶対主義をとることができるように措置したのです。どのような御言も、第二の御言を許しません!」
(祝福 85 号 P68 「祝福二世の行くべき道」より抜粋)
訓読会を一生懸命にする、一番のチャンピオンは・・・
「訓読会を一生懸命にする、一番のチャンピオンはだれですか? いちばん一生懸命に訓読する人はだれですか? 神様ですか、真の父ですか?(『お父様です』)。真のお母様も好みません。(笑い)ですから、私しかいません。
ですから、真の母の伝統を絶対に相続するのではありません。真の父の伝統を絶対に相続しなければなりません。息子・娘はだれかといえば、真の父の息子・娘であって、真の母の息子・娘ではないではないですか? 真の母は管理の主人です。 育てて教育する主人です。」
(ファミリー99/11 51 p~ 52p)
「九・九節」の御言 1999 年 9 月 9 日 中央修練院
先生のみ言以外は、絶対に信じてはいけません。あなたたちの言葉を付け加えることを最も嫌うのです。 原理もそのままです。先生と神様が祝福して印を押した文書を改ざんできますか。『平和神経』を読むときも、自分勝手に読んではいけません絶対視しなければならないのです。先生よりも絶対視しなければなりません。
皆さんの子孫の何千、何万代までも、愛し、敬うことができる内容が入っているのです。
(2007 ・ 2 ・ 27)
先生が霊界に行ったとしても、霊界に行ったからといってなくなるものではありません。 先生以上の内容をもつみ言を、神様を中心とする教材・教本として作りました。文総裁のものではありません。ここにあるとおりに生きなければならないのです。このみ言の中に、精誠を尽くした生涯のあらゆるものが連結されています。
(2010 ・ 1 ・ 2)
先生を愛しているのなら、八大教材・教本を、先生よりもっと愛さなければなりません。そうしてこそ、自分が行くべき目的地、自分が暮らしていける未来の天国が準備されるのです。八大教材・教本の中に天地の内容が全て連結されているので、自分は地上にいても、超越的な天上世界の神様のみ座に向かうときに、門が閉じることなく、道を行き違うことなく、一本道で通じるのです。ですから、先生の教材を愛さなければなりません。
(2009 ・ 11 ・ 9)
先生がこの世を去るときの贈り物として、皆さんに何を残していくかということを考えるとき、『文鮮明先生御言選集』が最高の贈り物です。それは天地をもってしても、売り買いし得ないものです。 その贈り物は、真の父母と真の子女を、血統的に一つに結び付けてくれるものです。
(190 -227 、 1989、 6、 19)
「天運と聖霊の宿る八大教材・教本」この本より抜粋 2012 年 1 月 23 日
「先生の言った通りで「糞」と言えば「糞」と書き 残せ。「拳」と言えば「拳」で残しておけ」
(596-57 、 2008. 8.17、天正宮 , 希望の灯台)
と 、 お父様が言われるのです 。
八大教材・教本の「原本」は絶対に改竄してはいけないし都合のいい言葉に変えるのは、絶対に駄目です。後世に残す真のお父様の遺言です。
「本について内容とか『天聖経』に手出しするなというのです。
歴史的環境だとか仮版を作って説明することはできるとしても、これに手出ししてはならない」
(479- 132 、 2004.12.3)
「 また、先生が書いたみ言の中に誰かが新たに何かを手直しするのを願いません。その 内容が何故このようになったのか知らないのです。知らないで手直して、後であの世に行って万民の前で審判されかねない讒訴条件に引っ掛かるというのです。ですから、むやみに手出ししてはなりません」
(493-287 、 2005.4.26)
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