秋も深まり寒さを肌身に感ずる季候となってきました
寒さを肌身感ずる日、朝早く食事の準備を終え、皆が食事に来るのを待つ間、お父様と私は数分外に出ました。小高い山の上に獄舎と食堂があったのですが、そこに雀が数十羽飛んできていました。そのとき、お父様はその雀を見て、「この寒さの中でエサを一日中探して食べるのは大変だなあ ー 。これからもっと寒くなるのに一生懸命餌を探して食べているよね、大変だね」と、雀との会話があったことを私は忘れられません 。一羽の雀のことを心配されているお父様でした。
世界の大きな問題を心配されるお父様でしたが、餌を探す小さな雀に対しても、冬になったら餌をどうするのか心配されているお父様を見たときに、小さい雀 までも心配されている 方なのだな ~ と感じたその日を私は忘れることができません。万物に対するお父様の心情の世界 を私は学んだのです。
刑務所のいろいろな出来事の中で、忘れることのできない思い出が多くあります 。刑務所のすぐ前に芝生の丘があるのですが、お父様がそこに座られて、遠くを見ては目をつぶり、また体をゆらゆらさせながら、遠くを見たり目を閉じたりして瞑想されているような時がありました。私も隣に座っていました、「神山、見てみろ。ほら、見てみろ。あの木がダンスしているよ」、「えっ、何でしょうか? あれは木が風で揺れているんですが」。私にはその様にしか見えなかったのです。
しかし、お父様には、風に木が揺れている状景はダンスしているように見えるそうです。私はそのとき、「お父様と自然との関係は、こうなのかな ~ 」と思いました 。
私には、ただ風に揺れている木としか見えないのに・・・。お父様と自然との関係というものは、私たちには考えることのできない深い世界があるのだということを感じました。
刑務所で悲しいできごと
ある囚人が木にロープをかけて首を吊って自殺した杉の木が、刑務所にありました。お父様は、その木で首を吊って自殺があったことを知られて、目を閉じては目を開き、遠くを見ながら、隣にいた私にこう言うのですー。
「神山、あの木の枝を切ってあげたらいいね。」
「お父様、なぜでしょう?」
「いや、彼はまだそこにいるよ。いるんだよ。」
「いや、お父様、もう降ろされて、いませんが・・・ 。」
「いや、いるよ。君には見えないけれど、彼はそこにいるよ引っ架かっているよ。あの木の枝をを切ってあげたらいい。木がかわいそうだよ。」
木に同情されるお父様の姿を私は見ました。それとともに彼に対しても同情しておられました。
「先生が、もっとこのことを何日かに前に知っていたら、何とかしてあげられたのにね。」と言って、彼のことを心配しておられました。そのとき私は、私は御父様にお聞きしました「お父様 ~ 、あの木に架かっている状態が永遠に続くんでしょうか? どうなるのでしょうか?」と
「広大無辺な世界(霊界)は、我々の将来の活動舞台になるにもかかわらず、彼はあの場所にとどまっている。彼はなんと惨めなことか。」
自殺というのは、自己中心の典型的な姿だというのです。
神から与えられた生命を自分勝手に絶ってしまう ー 。この肉体を持っての生活は霊界に行く為の準備なのに・・・・。広大無辺な世界(霊界)は為に生きた人の活動舞台であって自己中心に生きた人とは関係ない・・・と。言われるのです。
だから、その場所にとどまってしまっている ・・・・と 。
「どうしたらよいのでしょうか?」と私はお聞きしました。するとお父様は、「その場所に代わりの人を引っ張ってくれば、その人はあるところまで範囲を広げることができるけれども、その範囲は決まっている。広大無辺な世界は我々の将来の活動舞台であるにもかかわらず、彼の生き方は惨めよ。」と話をされたその言葉を私は忘れられません。
このように、刑務所の中において二百人一人一人に思いを寄せていらっしゃるお父様の姿を見たときに、「ああ、私の伝道生活においてどうだっただろうか。これほどに多くの人に対して心配しただろうか」と本当に反省させられました。
お父様は心温まる愛のお父様でした
ある人たちはRev.Moon は権威を着飾って威張っていると言います。
私が見たお父様は心温まる愛のお父様でした。間違ったことに対しては厳しく叱責するお父様であり、また、私達を許し愛で抱擁してくださるお父様でした。
私はお父様が好きです。お父様はアダム国家、日本はエバ国家として本当 に私は真のお父母様から多くの愛を受けました。ダンベリー刑務所での生活におけるお父様のお姿--絶対なる神様の前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従という、絶対なる基準を立てて歩まれるそのお姿を、私は直接見てまいりました。お父様が神様の前にそのような歩みをされるのだとしたら、我々においても、真の お父様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で歩まなければならないし、その基準を通して、未来の理想、神人合一、愛の理想がなされ、地上天国、天上天国の解放・釈放圏が生まれてくるだろうと思うのです。今、真のお父様が願われる大きな計画の前に、私たち全食口が本当に一丸となって、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で行くならば、必ず乗り越えていけるのではないか、ということを強く私は感じています。
ある人達が今、こう言うのです。神山会長は顕進様の側だから、お父母様 に反逆し裏切った・・と。真の御父母様を私が反逆し裏切ることができると思います? ・・
お父様の思想そして伝統から外れ分派組織をこの私が作ることができると考えているの~~ええ。この私が、絶対できません。
今の組織そして清平は祈願書ー、自分の悩み、苦労、苦痛、十字架を取り除いてほしいと神様に祈願する。これがお父様の思想でしょうか。お父様の思想、伝統を相続しなければ理想世界が出来ないというのに、お父様の考え方は思想は ・・・。
お父様のみ言を拝読します 。
「破滅へと運命づけられているかのような世界をあとに残すのでなく、何としても復活していく世界を残したいと願っている先生ですから、生きているうちにこの運動の基盤を完成していくために、自分の生涯においてありとあらゆる苦難、頭の痛いこと、苦々しいこと、嵐のごとき非難、迫害等良くないことのすべてを一身に受けることを決意して、「どうか我にすべての重荷を負わしめ給え」と祈っている先生です。」
「創立以前の内的教会史」 1977年5月 1 日
今まで、先生の戦いは、あるときはこのような祈りをしました。「神よ、 6000年間の神様の摂理におきまして、あらゆる罪を犯し、背いてまいりました。どうぞ 6000年間を6日間にして我に背負わせてください」また、「32億の人類と今まで霊界に行っているすべての先祖の代わりに、サタン!すべては機関銃を向けて我を打て!生命だけは残し、あとは片輪になってもどうでもいい。一生どうなってもいいから、我を打て!。そのような祈りをしました。そのようにして条件を立てるよりほかに道はありませんでした。今でもそうです。
「天宙に立つイエス様」 1965 年 10 月 3 日
ある兄弟が真のお父様に質問しましたー。「祈りについて教えていただきたいのですが」と。お父様の答えはー
「 祈りの方法としては、祈りは、自分を先立てて祈るな。「神よ、私の願いをかなえてください」、そういうふうに祈るな。世界を救って、世界に対する神の願いにかなうように祈り。「私に、いかなる時にも神の命令に従い、責任を果たす、そういう姿勢を我に持たせてください」。そうして、その立場に立つようになると、世界的人物になるんだよ。「何か祝福されたい、私にこういうようにしてください」、そういう祈りは必要ない!」。
東京地区和動会に於けるみ言 一九六七年六月十六日
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