一九七〇年六月四日 『文鮮明先生み言選集第三十一巻』
皆さんは、万物を公的に管理することができる人とならなければなりません。皆さんが御飯を食べるとき、御飯に対して有り難いというあいさつもなくむやみに食べるといって、世の中の御飯が全部動員してデモをする日にはどのようにしますか。人間の口という口にはすべて入らないことで同盟ストライキをすれば、どのようになりますか。そのようなことを考えてみましたか。植物なのでそのようなことができないから幸いですが、もしそのようなことができるならば皆さんはどうしますか。
ですから、皆さんは御飯を食べるときには、その御飯の価値を知って食べなければなりません。「お前はどんな人の口に入っていくことを願うか、お前はどんな顔をもった人の口に入っていき、骨になって、肉になって、エネルギーになって、善の世界のために何を残したいのか」と、こういう考え方で御飯を食べなければならないというのです。御飯が悪い人の腹の中に入っていくことを願いますか。たった一粒の御飯粒でも善なる人の腹の中に入っていくことを願うのです。より公的なものを願うというのです。
空気も同じです。もし空気が総団結して五分間だけ世界的にストライキを起こすならば、世界人類は一時に空気に服従するのです。もし神様が世界を強制的に屈服させようとすれば、空気で屈服させることができるでしょう。空気を取り出してこの世を真空状態にして、一分、二分、三分、五分だけそのようにすれば、「死んでも降参です」と言うでしょう。皆さんにとって空気は怖いものです。近ごろ「都市の空気を汚染するな」と言いますが、当然そうしなければならないのです。きれいにしなければ侵入されます。また水もきれいにしなければなりません。このように、万物はすべて公的なのです。
太陽は、生命の根源であり無限な価値をもっています。私たちはそういう太陽の光をただで受けています。太陽の光を買うといって、お金を用意して持ち歩く人を見ましたか。また、太陽の光を受けたと一銭でも出した人を見ましたか。この太陽の光を売るといえば買いますか、買いませんか。体をあげても買うことでしょう。水や空気、光などすべての自然物は、皆さん個人のものではありません。このような万物を自分のものだと考えてはならないのです。
神様は、どのような人を好むでしょうか。公的な立場で、公的管理を生活哲学とみなしていく人を好みます。万物に対しても同じです。これが天地の理致であり、天法なのです。
皆さんがこのような原則を中心として、公的な道を歩むようになれば絶対に滅びません。絶対滅びないというのです。ですから、皆さんは物を公的に管理して、人に公的に対して、天に公的に侍りなさいというのです。
これを上手にする人たちが集まって夫婦を成したとすれば、その家庭を中心として新しい民族と、新しい世界が形成されるのです。ですから、より公的な生活をする皆さんにならなければならないというのです。
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