1985・1・1、ニューヨーク、世界宣教本部、ダンベリーの正月連休
お父様ご自身が語られたダンベリー刑務所での証し No.1
ダンベリー刑務所の環境
先生は刑務所生活に関しては専門家なので、「あの人はどのような罪を犯した」ということがすぐに分かります。良い人か悪い人かということがすべて分かります。そこは社会悪が集約された展示場のような所なので、あらゆる階層の人々に会うことができます。その世界にいる人々の心理状態というものは、「座れば不平」です。2人が座ろうが、3人が座ろうが、10人が座ろうが、座れば不平を言うのです。すべて「自分が正しくて偉い」と言うのです。自分たちには罪がないというのです。世の中が悪く、判事が悪く、検事が悪いというのです。その次には、国に対する不平を言うのです。
先生がアメリカで最も悪い人だといううわさが立ちました。そのような時に、そこに入っていきました。そこに入っていった最初の気分がどうだっただろうか、考えてみてください。今電話をしたという人がビル・シェパード(Bill Shepard)ですが、この人の父親は将軍でした。将軍の息子として悲惨な歴史を経た家庭に生まれたので、この人はとても義憤心が強いのです。それで、「レバレンド・ムーンが本当に悪い人ならば、六カ月以内でレバレンド・ムーンを取り除いてしまおう」ということを徒党を組んで企んだのです。この人が(監獄の中で)そのようなクラブをつくりました。皆さんにはその環境を想像することはできません。
ですから、そこに行けば作戦を十分に立てなければなりません。皆さんが社会に伝道に出掛けていって受ける困難は問題ではありません。そこでは、彼らの気が最高度に立っているので、どのようなまねをするか分かりません。包丁を入手しようとすればいくらでも入手することができるのです。
そこでどのような事件があったのかというと、昨年までは、運動器具の備えられた運動室がありました。そこで鉄アレイを使って運動をしたりするのですが、誰かが隣の人とぐるになって一人の人をその鉄の塊でたたき殺したのです。ところが、誰が殺したのか今でもその犯人は見つかっていません。それで、すべて下級刑務所に追放された事件がありました。
監獄には、ありとあらゆるならず者が集まっています。マフィアはいるし、ありとあらゆる者がいます。ある所に入ってみると、前科18犯の者がいました。どうして前科18犯になったのか聞いてみると、「ここを出たところで、ここで休みながら食べて暮らすよりは劣るので、避暑地のように出たり入ったりするのだ」と言うのです。そのような者たちと、肩を触れながら生活しました。彼らの中で生きていくには方法があるのです。
そのようにして暮らす環境では、刑務所の経歴がなければ困ります。そうでなくても私が入っていく前に、囚人たちにはレバレンド・ムーンに対して、悪い人だという認識があるのです。それで、どのようなあだ名がつけられたのかというと、ムーン・マフィアです。(笑い)「ムーン・マフィア」と言えば分かってしまうので、自分たちの間では「Mマフィア」と呼ぶのです。Mは「文」の頭文字です。「Mマフィア」と言えば、私のことだと分かるのです。私はそのように恐ろしい人です。(笑われる)
真の愛の直行路
ダンベリーは小さな社会ですが、その国の最も悪い者と最も良い者がすべています。悪い者もたくさんいますが、計略、謀略を受けて入ってきた者もたくさんいるのです。最も良い人と最も悪い人に出会うことができるのです。
彼らを中心として私が心情的に一致させ、彼らをひざまずかせて訓示することができる位置に立ちました。それは、未来においてアメリカの国民を教育することができる心情圏蕩減条件の基盤となりました。彼らと接することによってアメリカを完全に学ぶことができるのです。そしてアメリカを完全に知ることができました。
今まで神様がサタンを屈服させることができなかった原因はどこにあるのでしょうか。そして、今まで人類がサタンを屈服させることができなかった原因はどこにあるのでしょうか。唯一、サタンの主張することがあります。それは、「私は堕落しましたが、本然の原則的な基準から父母の心情を中心として見れば、神様は私を愛するようになっているし、神様の息子も私を愛して初めて天国に行くようになっているはずです。それが原理原則ではありませんか」と主張していることです。このような態度に出れば、神様としては身動きがとれません。ここに、すべて引っ掛かってくるのです。
「完成した人間の位置に上がって天国に入る資格者になろうとすれば、私を愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなくては、完成の位置に上がっていくことはできません」と主張するサタンの言葉に引っ掛かっているのです。それゆえに、イエス様も十字架上で「怨讐を愛しなさい」と言われ、先生も、ダンベリーで2億4000万のアメリカ人のために祈祷し、愛の基準を立てたのです。そのようにして、愛の軸に世界の数多くの民族が水平に連結されてくるのです。
先生は監獄に行っても95パーセントは人のために生きようとするので、朝早く起きて清掃し、汚い所をきれいに片づけてから日課を始めるのです。休むことなく何でもすることが習慣になっているので、食堂に行っても、ほかの人は仕事がなければ食堂に座っていびきをかいて寝ていたり、おかしな話をしているのですが、先生はしゃんと立って待つのです。習慣がそのようになっています。そして、何かあれば、私が先に行って手伝うのです。ですから、その食堂で有名にならざるを得ません。
私は、360日間、朝食をきっちり抜きました。本を読むために朝食の時間を逃してしまったのです。それで一食を抜かしました。刑務所では、朝食は必ず食堂に行って食べるのです。食べられるだけたくさん食べるのです。満腹になるように食べるのです。炊事場にいると、盗みをする人がどれほど多いか知れません。卵をこっそり隠しておいて盗んでいく者もいます。私は、そのようなことを見ても、すべて見ていないふりをしました。そうすると、その人は良心の呵責を受け、卵を山積みにしておいても自分一人で持っていくことができないのです。時には、責任者があげても「いらない」と言って、できるだけ受け取らないのです。ですから、私にとても気兼ねしているのです。
そこにいる責任者が、私が昼食時間にも仕事をしたりするので、いつも私の所に来て「もう昼食の時間だから早く昼食を取りなさい」と声をかけてくれます。昼食時間や朝食時間を逃してしまうのではないかと心配して、朝食の時も催促して朝食を食べるようにさせたり、自分のものを分けてくれたりするのです。人の良心というものは、監獄においてもみな同じです。
工場で仕事をする時も、彼らは先生のすぐそばに来て仕事をしようとします。それでおもしろいことは、そのようにしていると、私と一緒にいるラリー(Larry Evda:ダンベリー服役中、真のお父様に侍った囚人の中の一人)に向かって「レバレンド・ムーンにこのような話をして、自分をちょっと紹介してもらえないか」と言う人が出てくるのです。それで、「何だ、こいつ! 自分で行って話せ」と言うと、「いや、おそれ多くて自分からは話しかけることができない」と答えたというのです。
それで、ラリーに「同じ部屋にいて何でも自由に話すことができるのか」と聞くのです。それで、「ああ、おもしろい話をするよ」と答えると「へえ、本当か」と言っていたというのです。彼らは、私の前ではみな口が開かないのです。ワイルドで、暴力を振るっていた人たちが「なぜそのようになるのか分からない」と言っているのです。ですから不思議です。そのような何かがあるのです。それでも私のことが良いというのです。
先生は天の前に、「ああ! 私がダンベリーに入ってきたので、私を助けてください」という祈祷は一度もしませんでした。ダンベリーにおいて先生は、第一に黙って仕事をする人、第二に本を読む人、第三に瞑想をする人、第四に玉突きをする人というイメージを残しました。玉突き場が近いので、時間があれば玉突きをしたのです。ですから、収容者はみな知っていました。私の歩んだ足跡は、誰が見ても回想の因縁が残ることでしょう。
アメリカへ行った人がアメリカでの仕事をやり終えもしないで中断すれば、その人は偽善者です。ダンベリーの壁を通過し、生き残って再び復帰して完成しなければ、天のみ旨に連結されません。中途半端な人には永遠に完成の道はありません。いくら世界が統一され、先生の教える真理が世界の真理だとしても、中途半端では大きな傷を受けるだけです。
しかし、先生は違います。たとえ死の道を選んだとしても、まっすぐに進むのです。そこに先生の偉大さがあります。ですから、先生の生涯において何度監獄に引かれていこうとも不平を言いません。先生はそれ以上のことを考えているので、どこに行こうと堂々としているのです。万民の苦しみを背負っても、獄中生活を天国の生活のごとくに思うのです。それゆえに『牢獄の救世主』という本も出るようになったのです。
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