心情の境 1967年6月12日
先生は今まで、ある時は悲しい立場に、ある時は嘆く立場に、又ある時には表現しきれない悲惨な立場に立った事もある 。しかしどういう時でも神に対して慰めを求める、救いを求めるというような祈りをすることが出来ないというのが、先生の立場である。何 故か、アダムは神から全てを授けられたのだけれど、神に逆らい自分自身からこれを投げ出してしまった。だからそれを蕩減する 立場に立って、再び神から祝福せられなければならない。
これは天則である。だからある蕩減の限界に入るというと、死にたくもなる。 そういう時には祈りも何もすることが出来ない。そういう立場があって、全てのサタンの方から狙われる。神の方はその立場をみながら。どうすることも出来ない。
人間自身にサタンが残っているから、分別しなければならない立場にあるわけだけれど、分別圏内にあるその段階にあるその段階 においては、心情ばかりでは通じないというのです。勿論分別がなされてからは、神ばかりによる立場に立って心情を中心として、 それから審きという問題が始まるわけです。だからそこに行くまで何でもって 分別しながら行くかというと知恵でもってする。そういう立場においては、神も教えてやる事が出来ないのであるから、体験によってサタンに対応する戦法、即ち戦いの方法をあらゆる 方面から活用させて、そして環境を分別してサタンを追い出さなければならない。先生は今もそういう戦いをしている。
それは誰にも相談する事が出来ない。たった一人でこれを解決していくお母様はお父様について来ます。絶対服従すれば 通ずるんです。何故 かというと、エバがアダムを主管したのが堕落であるから、 このあやまちから復帰きされるには、アダムに完全に主管されなければならない。
しかし最前方に立って闘うのはアダムがやらなければならない。それは数十億の民を悩みの底に落しているのはサタンである。しかし天使長をしてサタンとならしめた、即ちそれを決定ずけたのは誰かというと、アダムである。エバじゃない。だから アダムが 最後の決断をしなければならないという立場が、どこまでもある。だからこれを世界のはてまで追いよせてゆかなければならないというのが先生の使命観であるわけです。
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