「再会の心」 1977年9月11日 ベルベディア
偉大な仕事を成就するために、私たちは巨大な愛の力を探らねばなりません。ただ最高の愛の力によってのみ、そのような力を発揮するのです。社会の動きや環境によって翻弄されるような愛ではありません。最高の愛こそが、国境を越え、人類の境を越え、文化の境を越え、知識の境を越えるのです。
人類歴史を通じて展開してきた人類愛は、こうした壁を乗り越えるには限界があります。私たちの統一教会は、一なる神の愛と神の心情を中心に存在しております。統一教会は、人類歴史上初めて神の心情を語る、最初のグループになるのです。神の心情は一度感ずると、朝の太陽のように広がり、誰もとどめることはできません。さらにその輝く朝の光が、全世界をあまねく照らし出すのです。人間には一つの中心的ポイント、心があります。それは全人類を代表して神の愛を人間の基準につなげる点です。それは一つの点にとどまることはありません。遍在的であって、全地にあまねく広がり内外に出入りし授受作用するのです。神の心情、仮にあなたがそれを中心に回転する時、あなたの意図は、神の心情と出会うことでなければなりません。
そしてその中心点と出会ったら、あまりに美しく圧倒される経験のゆえに、再び外に出ていくのです。神の心情に出会って、外に向かってはじき出される時、家族や、社会や、国家や、世界を抱き抱えたいほどの興奮を味わうのです。このようにして私たちは、あらゆる国内を通過しながら、地上天国実現へと向かうのです。
これが、喜びの再会、心情の再会に関する中心的真理です。東洋と西洋が、共に出合い、喜んでいる。二つのものを一つにつなげる中軸(じく)、核心が神の心情なのです。私たちは、言葉でもって十分に神の心情を表現することができません。しかしそれは、私たちの心を温め力づけてくれます。あなた方が、心の空虚さを感ずることは間違いです。あなた方の心の中に、その中軸に神の心情の動きがないならば、たとえ統一教会員であっても、内面に空洞を感ずるのです。神の心情がすべてです。神の心情が心の中に入り住みつくようになれば、一人でいても決して寂しくはありません。すべてが充実してくるのです。完全に満たされた人は、完全に幸福なのです。
幼い子供が外から帰った時、兄や姉が楽しく談笑していても、もし母親がいなかったらその子供は、「誰もおうちにいないの」と言います。実際は、楽しく優しい兄と姉がいてもです。それは、母親がいなかったからです。すなわち母親が愛の主体者だからです。愛の中心、中心軸がそこにあるので、皆は満たされ無心に振る舞うことができるのです。
今あなた方は、主体の位置に立ち、その真の愛を広めなければなりません。この愛を十分に捧げ尽くした時、理想の倍化と実現化があるのです。愛は、距離を超越します。そして愛のスピードに対して光の速さは、比べものになりません。真の愛は最も速く、最も明るく、最も満ち足りているのです。真の愛は最高の甘さです。全宇宙の中で、真の愛を越えるものは何もありません。例えば、退屈で味気のない人生を送っている女性が、この愛の可能性を知った時、突然彼女は、体全体が輝くばかりに変わるのです。このような奇跡は、ただ真の愛の力によってのみ可能なのです。脅迫や銃口ではできません。
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