御旨と世界 P.272
神の目的は、ある特定の個人、あるいは教会、あるいは国家の救いではありません。神の目的は、全世界を救うことなのです。ですから真の教会は、世界の幸福のために、自身を犠牲として与えるものであります。そうです。真のクリスチャンは、自分の命を、世界と全人類の救いのために捧げたいという願いをもっているはずであります。しかしながら、今日のクリスチャンの教えは、自己中心的になってきています。クリスチャンは、自分自身の個人的な救いを追い求めているのです。彼らは「私の救い」と「私の天国」を叫んでいるのです。これは、神の真理に反し、神の理想に反するものであります。我々は、断固として与え、愛し、犠牲になり、他のために生きていかなければなりません。
我々はすべて理想的な生き方を求めて働かなければなりません。私は、私の家庭のために存在し、私の家庭は、社会のために存在し、社会は国家のために、国家は世界のために、そして世界は神のために、神は、あなたと私のため、全人類のために存在されるのであります。この偉大なる授受のサークルの中に調和があり、統一があり、永遠に増し加わる繁栄のプロセスがあるのです。さらに言うならば、この回路の中で、すべての存在がこの創造の目的を成就するようになるので、そこにはあふれんばかりの深い喜びが存在するのです。これが幸福感の充満する天国なのであります。
この世界において、利己心はすべてのものを破壊します。家庭内における利己心は不調和を生み出し、それは苦しみと闘争とに爆発していくのです。
誰しもが、仕えることよりも仕えられることを願うのです。妻は夫に仕えられることを求め、夫は妻に仕えられることを欲するのです。親は子に仕えられることを期待し、子は親に仕えられることを当然のこととするのです。このような現象は、我々の家庭や社会や国家においてよく見られることであります。
今日の世界においては、国家は、単に自国の利益のためにのみ存在しています。彼らは、策略を用い、共謀(きょうぼう)し、だまし、そしてうそをつくのです。彼らは、自国の利益のために、他の国々を破壊するのです。この地上に、たった一国でも神に向かって「神よ、もしそれがこの世界を救う道であるならば、どうぞこの国をあなたへの犠牲として供え物として用いてください」と訴える国があるでしょうか。教えてください。どこにそんな国がありますか?どこに?
アメリカが、世界における奉仕と犠牲の精神を示して援助を必要としている国々に対して、その援助のために出かけていったとき――すなわち、アメリカが生活と資金と援助の手を差し伸べたとき――アメリカは、ゴールデン・エイジの繁栄を得たのです。しかし今やアメリカは、利己的な姿勢をとっています。今日のアメリカ国内の問題は、非常に深刻であります。アメリカの現状は、今、混沌としています。今日、この地には、かつてなかった分裂と崩壊とゆゆしい問題がみなぎっているのです。
私は誰をも、また、どの国をも批判しているのではありません。私はただ、すべての人類の探し求めている天的真理を明らかに宣言しているだけなのであります。
私は、統一教会を創設しました。もし、この統一教会が統一教会自体の利益と幸福のために存在しているとするならば、それは必ず滅びるでありましょう。私は、世界の救いの前進のために、私の命と、私の心と、私の魂を与えるために統一教会を設立したのです。
イエスが十字架につけられた時、ローマの兵士たちは、イエスをやりで刺し通しました。そして、そのイエスは、敵のために祈ったのです。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23・34)。十字架上における死の瞬間でさえ、イエスは許すことに懸命であったのです。彼の、正に最後のその行為は、彼の敵に対する愛によって誘発されたものでした。彼は、与えることの最高のかたちを見せてくれたのであり、愛の模範を示してくれたのです。イエス・キリストの例は、全人類にとっての絶対的な基準であります。イエスのような人ばかりで構成された国を、ちょっと考えてみてください。そのような国を何と呼んだらよいでしょうか。それが、地上天国であり、それ以外の何ものでもありません。
イエス・キリストは、その全生涯を通して、その並ぶもののない愛と奉仕と犠牲のゆえに「主」でありました。彼は、永遠に「主」であるでしょう。それと同様に、この宇宙に神の全き奉仕と愛とに勝るものは何もないのです。それゆえに、神は永遠に神であり、すべての被造物を支配されるのであります。
ローマ帝国の衰亡(すいぼう)を見てください。ローマ帝国は、武器をもたない軍隊、すなわち、イエス・キリストの軍隊の前に崩壊(ほうかい)してしまったのです。クリスチャンは、いかなる方法でローマを征服してきたのでしょうか。彼らの、自分の命までも捧げるような愛と犠牲と完全な奉仕によってであります。歴史は、いかなる帝国も、犠牲的愛の軍隊には負けてきたことを証明しています。そして、そのような歴史は繰り返されるものでありましょう。
この現在の世界は、神の怒りを呼び起こしています。本当に世界は今、神の容赦ない審判に値するのですが、神は愛であられるがゆえに、長い間忍耐しておられるのです。我々すべてを救いたいがために、その怒りを止めておられるのです。神は、我々に生まれ変わるチャンスを与えておられるのです。神は待っておられるのです。
私は、西洋文明は個人主義でもって特徴づけられるということを知っています。しかしながら、利己的な個人主義は滅びるのです。そして、犠牲的個人主義が花開くのです。個人主義それ自体は善であります。神は、我々一人一人に独特な、仕える道を与えてくださいました。しかし、神のいない個人主義は、崩れ去る砂の上に城を建てるようなものであります。