神様の祖国解産完成より抜粋
皆さんには国がありません。神様にも国がありません。神様に祖国がないので、私たちにも祖国がないのです。私たちは、この祖国を建設しなければなりません。神様の真の愛と私たちの愛で、個人を中心として、家庭を中心として、氏族を中心として、民族を中心として、国家を中心として、愛でそのすべてを連結させてこそ、神様の地上天国と天上天国が成し遂げられるのです。真の愛の個人、家庭、氏族、民族、そして国家的な地上基盤が立てば、自動的に天上にも国家的な基盤が立つようになります。そうすれば、霊界が自動的に開いて地上と一つになるのです。これが原理観です。(134―216、1985・7・20)
皆さんの心の中で常に考えなければならないことは何でしょうか。天が愛され、希望する祖国です。イエス様が十字架で亡くなられたのち、今まで二千年間、希望をもって闘ってきた目的はどこにあるのですか。家庭を願ってきたのではありません。氏族と民族と国家、最後の目的は祖国のためだというのです。国のない民は最も哀れです。国がなければ、いくら愛する父母と親族がいたとしても、怨讐の国が来て襲いかかってくれば、彼らは悲惨なことになるのです。ですから、最高の一念とは何でしょうか。「祖国」という言葉です。祖国の中には、民族が入っていて、氏族が入っていて、家庭が入っていて、個人が入っています。皆さんは、これを知らなければなりません。(155―217、1965・10・30)
今日、先生が言う「祖国統一」というものは、今日の統一教会を中心とする祖国統一ではありません。神様を中心として、過去、現在、未来の人々が願った理想の上に立って言う祖国統一です。そのような祖国統一が、今日のこのような疲弊した基準値以下の立場で、語り、考え、行動することによって成し遂げられ、達成できると考えているとすれば、それは大きな誤算です。このような考えを是正し、撃破しなければなりません。
祖国統一というものは、統一教会を越えて成し遂げられるものです。摂理史的に世界を越えて復帰される神様の祖国を意味するのです。ですから、私たちが求める祖国は、私たちだけのものではありません。神様も求め願われる祖国だというのです。このような概念を私たちは知らなければなりません。(172―163、1988・1・10)
神様の祖国は、どこから取り戻してくるのでしょうか。どのような道を通して取り戻してくるのでしょうか。怨讐を愛する道です。個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、民族、国家、世界の怨讐を愛する、この伝統的な道以外には、そのような理想的な祖国は現れないということを知らなければなりません。(107―22、1980・2・21)