天国を開く門 第二章 愛を中心とした人生行路
私は、霊界での体験をたくさんもっていますが、霊界は愛の成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛で包まれている所です。人間は、地上で、空気を吸ってガスを吐き出しますが、霊界では愛を吸って生きるようになっています。霊界は、今日の人間の世俗的な愛を中心として授け受けするようになってはいません。霊界で授け受けする愛は真なる愛なのです。
皆さんが霊界に行ってみれば、その世界は次のようになっています。すなわち、父母、兄弟姉妹、夫婦、子女に対する愛を十分にもった者、すなわち家庭生活で深い愛の経験をした人は、多くの自由を享受することができるでしょう。
その人は、何の制限もなく、どこでも、どの方向にでも行くことができます。その反対に愛の経験のない人は心が狭く、霊界でも自分一人孤立していて自由が全くありません。
父子間の愛は縦的な関係であり、夫婦間の愛は横的な関係であり、兄弟姉妹間の愛は旋回して取り囲む関係なのです。この三つの関係は、互いに異なります。ですから、地上でこの三つの互いに異なる方法で深い愛の経験をもってこそ、制限なしに縦的、横的に行くことができ、円形に旋回することができます。
例えば、父母が早く亡くなることによって父母の愛を味わうことができなかった人は、とても重要な愛の経験ができなかったために、少なからず悲劇的な人であり、同じように家庭生活、すなわち夫婦関係を経験できなかった者は、生の重要な部分が不足するので、霊界ではとてもみすぼらしい人になります。また、兄弟姉妹がいない人は、すべての分野の欠乏によって完全な生を生きることができないので、界でみすぼらしい立場に立つようになります。
皆さんはなぜ結婚しなければならないのでしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を体験するために結婚するのです。それでは、それがなぜ必要なのでしょうか。そのような愛の空気が充満した所が霊界だからです。霊界の拍子に合わせる訓練をするために、家庭をもたなければならないということを知らなければなりません。
これを感じないで行く人は、あの世に行って拍子を合わせることができません。このような愛の空気をかぐための鼻がない人と同じだというのです。
皆さんは、お父さんとお母さんから生まれました。次にさらに根本的なことは、お父さんとお母さんのおなかを借りて神様から生まれたという事実です。皆さんは、宇宙の父母を通し、肉身の父母を通し、真の父母を訪ねていくようになるのです。肉身の父母は通過の父母です。ですから、死の瞬間は、真なる父母に会いにいく歓喜の時間です。
そこには、真なる父母の真なる愛があります。そこを天上天国といいます。そこの構成要素は愛であり、そこは父母の愛で充満しています。その愛は「私」のためのものではなく、奉仕と犠牲の原則のもとに、すべての法度に通じ得る愛です。そこに合格するためには、宇宙を愛し、人類を愛さなければなりません。地上生活は、そのような愛のための訓練の場所です。
この地上での生活がどれほど重要か分かりますか。一度しかありません。 瞬間なのですが一度しかありません。地上生活を永生に比喩すると、これは一点ほどのわずかな時間にすぎません。あまりにも短い瞬間です。しかし、この瞬間の時間内に、肉身生活を越えて霊界のために準備しなければならないのです。