絶対信仰と絶対愛 1994年10月9日
韓国・中央修練院にて (抜粋のみ言)
イサク時代にリベカを中心として見れば、世の中の誰も信じられないことをさせるのです。自分の夫をだまし、長子権を弟に奪ってあげるという母が世の中のどこにいるでしょうか? 摂理のみ旨が間違ったので、正すためには間違ったものを直さなければなりません。このように来たのが、反対にこのように上がらなければなりません。そのように上がろうとするので、反対的なことをさせざるを得ないのです。
エバが神様の長子アダムをだましました。それに、お父さん(神様)をだましたのです。そうして、長子権を失い、次子によって摂理していこうとするので、歴史的な恨みの峠があり、千年万年、未来に向かって嘆息の峠が待っているという事実を、神様は知っているのです。リベカはその内容を知りませんでしたが、指示に従って行動をするのに躊躇しませんでした。同様です。
今日、逆説的な路程を開拓すべきなのが、摂理史の主動的責任者だという事実は、聖書の歴史を見るとき、否定することができません。もし根本が壊れて、失われたら、全く同じものを持ってきて修理しなければならないのです。蕩減復帰は反対の経路をたどるのです。
そうして、エサウとヤコブの路程で、弟が兄さんの長子の嗣業を奪うために、21年の受難の道を行ったのです。ラバンの家に行って、どれほど苦労したことでしょうか? そのように数多い事情の中で歳月を送りました。普通、 男性なら、そこに引きこもっていられません。おじが、どのような人間かといえば泥棒です。けれども、その困難な環境を耐えに耐えながら、21年の間、
不平もなく過ごしたのです。ですから、人が知らない道を行く背後には、天が見守ってきたのです。滅びると思った人が滅びず、滅びないという人が滅びたのです。
そうして、ヤコブがエサウの家に帰り、兄さんに会うとき、どのようにしたでしょうか? 羊の群れ5、60匹を数10回持っていって捧げました。一度に持っていって捧げれば、一度あいさつするだけですが、数10回あいさつさせたのです。ヤコブの戦略がどれほど緻密(ちみつ)だったでしょうか? そのようにしながら、ヤコブが兄さんであるエサウに会ったときは、贈り物として牛と羊を捧げたときより、100倍謝礼をするのです。羊がエサウに捧げられるとき、エサウの周辺を取り巻いていた400名近い兵士たちがいて、すべてのことを見ていました。
そして、ヤコブが兄さんであるエサウに会うとき、「兄さん、元気でしたか」と言ったのではありません。「わが主、お兄様」と称賛し、「神様を見るようだ」と言いながら、遠くから七拝して、近づいたのです。走っていきませんでした。走っていくはずみに、どんなことが生じるか分かりますか? 殺そうと準備した兵士を率いているので、そこで被害を受けないために、涙を流しながら、進んでいったのです。
そのようにして感動し得る環境になって、エサウがヤコブを抱き締め、顔をすりつけながら痛哭し、「お兄様、罪人が訪ねてきました。千万回、お礼をいっても足らないので、その場でたたき殺してください」といって、兄さんが贈り物を受け取ったのです。エサウは、人間の皮を被っては、それ以上の行動をすることができないので、贈り物を受け取ったのです。共に涙を流し、一つになり得る場が、天地史において転換起点になったということを誰が理解できたでしょうか? 行動は一人による一瞬の行動ですが、その内容は天地史のとてつもない歳月が引っ繰り返るのです。そこで、とてつもない価値の基準が引っ繰り返って、地獄から天国に転換され得る土台が準備されたと誰が思ったでしょうか?
これからは先天時代から後天時代、本然のカイン・アベルの時代へと越えるので、新しい歴史を編成して、重要な時代に入る時であるということを、皆さんは知れなければなりません。 「平和の主人、血統の主人」P.13
(補足)後天時代は本然のカイン(兄)・アベル(弟)の時代へと越えるので、長子(兄)が責任をもつ時代となる。