今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

堕落以後の神の足跡は何ですかと聞けば・・・(4月27日)

               

「心情の境」 1967612 

 いつも先生においての中心となるその心情は何かというといくら 自分が辛い立場にあっても、いくら悩めるどん底の立場に陥っても、自分よりも悩んでおる天の父がおられるということである。自分における四十数年間の苦労は限られた苦労である。しかし六千年間の神の苦労というのは、我々人間にどうにもこうにもそれはわかりきれる悩みじゃない。そのことが、わかればわかるほど、我々は頭を下げなければならない。わかれば、わかるほど従順、謙遜にならなければならない。人間は百遍、万遍死しても、その神の心情に報いることのできる、何ものもないということをつくづく感じる。そういう立場に立って、神に対して、感謝の念を持って行けば、その一人子を見て神は新しい希望を持ちながら、蕩減の世界的道を越えて行かなければならない。それをいつも考えている。

もし、辛いこと、苦しいこと、たまりきれない辛い立場に立っても、我々がいつも思わなければならない中心問題は何かというと、神の心情界においては喜びの心情界はまだまだである。悩みの心情を抱いておる。その痛みの心をいかに慰めるか。我々統一教会信者としての重大な責任である。だから闘って勝利を得たという立場に立てば、涙ながら神に感謝しなければならない。

 

今日の勝利は、我による勝利じゃない。一から百まで千万まで、すべてが神による勝利の決定的動機から出た勝利である。だからそれを知った立場に立つ人たちは、涙ぐましいところを通過しながらも、感謝の念を持たなければならない。それでイエス様は十字架の路程を通過しながらも、神に感謝の念を持ったのです。十字架の死の後にも感謝の念が残っていなければ、復活できないというのです。だから我々は闘って、また闘わなければならない。勝ってまた感謝を持って世界に向かって闘いの進路を進めなければならない。こういう立場に立っているのが復帰の過程にある我々である。

 

 これを君たちは忘れてはいけない。一瞬のその苦しみは、忍びえることができる。しかし堕落以後、今まで続いてきたその神の苦しみは、耐え忍びえる苦しみではない。しかし神はこれを耐え忍んできた、忍耐心を持って耐え忍んできた。だから神自体におきまして堕落以後の神の足跡は何ですかと聞けば、「我は忍耐である」と答えるでしょう。もしもそういう神の心情を知った神の子女たちがおれば、いかなる苦労の道、いかなる復帰の路程でも、我々は責任を持って行かなければならない。

 

 一国のその復帰の摂理の責任ばかりでない。世界的あらゆる民を我々が責任を持って、万民の死を、全体的死を総合した立場において我一人子として行きたいという願いを持たなければならないという立場に立たされている。これが、復帰路程をわかった我々の各個人としての心情基準でなければならない。


 

開質問状&反論まとめ


       教会の「声明文」と「第三弾」に対する反論と提案(その3)


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「今日の訓読のみ言」復興集会映像まとめ

 
 

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