生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
天に侍るための精誠
至誠感天・家和万事成より抜粋
神様の恨と、イエス様の恨と、歴史的な人類の恨を解くために、私たち自らが祭物の立場に立ち、あらゆる精誠を尽くし、あらゆる愛をすべて注いでこの国を愛さなければなりません。一つの命に対しても、父母の心情をもって僕の体を用い、涙と血と汗を流して精誠を尽くさなければなりません。そのようにすれば絶対に滅びません。そのような人は、行けば行くほど栄え、行けば行くほど主体者として登場するのです。そのような人には、天運が共にあります。このようなことは、先生が実験してみて、経験を通して間違いないと悟った事実なので、皆さんにはっきりと教えてあげるのです。先生の言うとおりに実践してみてください。(38―293、1971・1・8)
自分を中心としたものになれば、精誠は成し遂げられません。精誠は、自分を中心として尽くすべきものではなく、相対、すなわち、家庭なら家庭、社会なら社会、国家なら国家など、より大きな相対のために尽くしてこそ、「精誠」という名詞が成立するのです。自分を中心として精誠を尽くしたものは、自分一代においては残り得るかもしれませんが、それは、自分一代と共に流れていってしまうのです。
精誠の基台は、相対のためのものだけが残ることができます。その相対の大きさによって、精誠を尽くした実績や、結べる因縁の大きさが決定されます。ですから、皆さんは、自分を中心とするところではなく、必ず相対のために生きるところにおいて精誠の要件が成立し、「精誠」という名詞が成立するということを、肝に銘じなければなりません。 (17―227、1967・1・29)
今後、真なる息子、娘が尽くすべき精誠とは何でしょうか。これからの精誠は、天に侍るための精誠でなければならず、侍る場に同参するための精誠でなければなりません。(17―245、1967・1・29)
本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の 巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。
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