自叙伝 P.213
結婚した後には必ず守るべきことがあり、私は結婚する夫婦に必ず次のことを誓わせます。
第1に、夫婦がお互いに信頼し愛すること、
第2に、お互いの心を傷つけないこと、
第3に、二世や三世の子供たちに純潔を守るよう教育すること、
第4に、真の理想家庭を築くためにすべての家族が互いに激励し協助すること、
婚前の純潔を守ることと結婚後に貞節を守ることは、男女を問わずとても大事です。人間らしく、正しく生きるために、また健全な家庭を守るために、私は必ずこれを教えます。
結婚とは、ただ単なる男女の出会いではありません。それは神の創造の偉業を受け継いでいく貴重な儀式です。結婚は、男性と女性が一つになり、生命を創造して真の愛を求めていく道です。結婚を通して新しい歴史が生まれます。結婚した家庭を中心に社会が形成され、国家が建設され、神の願う平和世界が築かれていきます。つまり、この世の中で神の国、天国が広がる起点となるところが家庭なのです。ですから、夫婦は平和の中心にならなければなりません。夫婦は仲良くしなければならないし、そればかりでなく舅(しゅうと)や姑、そして親戚に至るまで、その夫婦によって平和が生まれてこなければなりません。二人だけが愛して幸せに暮らすのではなくて、その家の家族全員がお互いに愛して暮らさなければなりません。
私は結婚した夫婦に、無条件に子供をたくさん生みなさいと言っています。子供をたくさん生んで育てることは神の祝福です。神が下さった貴い命を、人間の物差しで測ってむやみに堕胎するようなことはあってはならないことです。この世に生を享けたあらゆる命にそれぞれ神の御旨があるからです。命はすべて貴いのですから、しっかりと受け入れて守ってやらなければなりません。
結婚した夫婦がお互いを信頼して愛を積み上げていくのは当然のことです。私が夫婦に最も大切なこととして誓わせているのは第三の約束です。「子供たちに純潔を守るよう教えること」
真に当然なこの約束が、最近の世の中ではあまりにも守るのが難しくなってしまいました。しかし、世の中が悪くなればなるほど、より徹底して守らなければならないのが純潔です。
人間も世界平和も、家庭を通して初めて完成するものです。そして、すべての人間を善なる人間にし、理想的な平和世界をつくっていくことが宗教の目的です。平和は政治家が額を集めて相談したからといってできるものではありませんし、強大な軍事力があるから平和になるともいえません。世界平和が訪れてくる出発点は、政治でも軍事でもなく家庭です。
ところで、家庭生活において最も大変なのが息子・娘をきちんと育てることです。親は愛で子供を生み育てますが、子供は父母の思いどおりには生きてくれません。加えて、現代の物質文明は青少年の純粋な心を破壊しています。美しく育つべき青少年が麻薬に溺れ、幻覚を見ながら生きています。幻覚は正気を失わせ、正気を失った子供たちは、結局、犯罪と堕落の沼地(ぬまち)にはまってしまいます。
思い起こすと、1971年のアメリカは、フリーセックスの嵐が吹き荒れて、社会が言葉にならないほど混乱していました。道端には、髪を伸ばし麻薬に酔ってぐったりしているヒッピーがあふれていました。立派な教育を受けたはずの健康な青年が、そうやって一人、二人と駄目になっていきました。性的な堕落が甚だしく、1年に800万人の性病患者が出たそうです。ところが、真に深刻な問題は、政治家や学者、牧師ら社会のリーダーとなるべき人たちが、その事実を知っていながら、見て見ぬふりをして問題を覆い隠そうとあくせくしていたことです。彼らが現実から目を背けようとしたのは、自分たちが純潔ではなかったからです。自分たちが純潔を守れないのに、子供たちにそれを守れと教育することはできません。
大人たちの不倫と性道徳の乱れは、家庭を破壊し、子供たちを駄目にしてしまいます。不倫と乱れた私生活は、子供たちの心に致命的なダメージを与えます。現代社会の人々が物質的な豊かさほどには幸福を享受し得ていないのは、本を正せば家庭が崩壊しているからです。家庭を救うためには、まず大人たちが襟を正してきちんと生きることです。子供を純潔に育てるのはその次の問題です。
母親とは、家庭を守る砦(とりで)のような存在です。母親の犠牲と奉仕があってこそ健全な家庭、平和な家庭が正しく立つことができます。世の中がいくら変わろうともその基本は変わりません。美しい子供はそういう家庭から育ってきます。横に歩くカニが、自分の子供に向かって真っすぐ歩けと言うのは理屈に合わない話です。子供は家庭で親の姿を見て学ぶのであって、子供の教育にはそれが一番大事です。父母が正しい手本を見せなければなりません。真の家庭から真の子女が出てくるのです。真理は常に最も単純です。
子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。思春期の子供たちは皆、王子様であり王女様です。思春期はあらゆることを自己中心に考える時期なので、父母の言葉に無条件に反発するものです。そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。反対に、いくら些細なことでも、自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。秋の日、葉っぱがすっかり落ちた柿の木から、熟した柿がぼとっと落ちるのを見ただけでも、うれしくて笑います。何だか分からないのですが、自分の心に届くものがあるので喜ぶのです。なぜそうなるのかと言えば、神が人間をそのように創造したからです。神から創造された人間の本性がそうなっています。
思春期に愛の感情に包まれてしまうと、世の中を見る目が曇って判断力を失ってしまいかねません。思春期の少女と少年が会って話をすれば、胸が高鳴りますが、そのようなとき、その心を神の基準に合わせなければ必ず悪の世界に染まるようになります。体 (肉欲) を制御する手段がなくなってしまうからです。心の目と体の目が一つになって動きます。愛の鼻を持てば、それまで嫌っていたにおいも好きになり、愛の口を持てば、それまで嫌っていた味も好きになります。夜通し愛の話を聞きたくなるし、愛する人にはしきりに触れてみたいと思うようになります。
思春期になると、心と体の細胞はすべての門を開こうとし、愛を喜んで迎え入れたくなります。愛には幸福感が伴いますが、だからといって、「しめた!」とばかりに無条件にその門に駆け込むと、大変なことになってしまいます。まだ門を開いてはならないのです。門を開くには時を待たなければなりません。時が来て初めて愛の門を開くことができます。時を知り、愛と性を正しく用いることを知るべきです。父母は、思春期の子供たちにこのようなことを正確に教えなければなりません。愛は神に似ていく過程であって、世の中で蔓延しているような自分勝手に楽しむものではありません。