今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

家庭の秩序的法度(9月30日)

Sep.30.2020今日の訓読のみ言

家庭の秩序的法度

  み旨にかなった子女指導  第一章 真なる家庭 P.63

皆さん、自分を主張する人が、父母と子女が、六人いるとするなら、全部でいくつの道があるでしょうか? 自己中心的な六つの道があるというのです。それなら、息子は「お母さんとお父さんは私の道に従ってきてください。私の言うとおりにしてください」と言い、娘は「お兄さん、弟の言うことは聞かないで、私の言うとおりにしてください」と言ってみんな自己主張します。このような家では毎日のように、争いが起こります。争えば争うほど、すべてのものの位置が上がりますか、下がりますか? 下がるのです。二回争えば下がり、三回争えば更に下がり、どんどん下がって、後には破壊するというのです。これは事実ですか 「そうではない、われわれは争って上がっていくのだ。これが原則だ」と言うのはどうですか? (違います)

 

 真の道は何かというと、争えば下がるのです。それが真の道です。この言葉は正しいですか、正しくないですか? (正しいです)。民主主義もそこから出てきたのです。「われわれが好むようにしよう!」ということでしょう? それはなぜ、どうして? 全体が発展して上がっていき、全体を保護するために不可避なことです。不可避なことだということを知らなければなりません。

 

 さあ、先生の言うことは間違っていると言う人は手を挙げてみなさい。先生が聞いてみますよ。だから、ここでどんな結論が出てくるでしょうか?   「私たちが互いに助け合える道を選ぼう!」このような結論が出るのです。嫌でも、そういう結論を出さなければなりません。互いに利益になりうるとするなら、下がっていく道ですか、上がっていく道ですか? (上がっていく道です)。したがって、上がっていくことのできる道を中心とした共同利益が絶対必要だ、こういう結論が出てくるのです。では、上がっていってどこに行くのでしょうか? 家庭が上がっていこうとすれば社会のためになりうる道に従っていかなければならないし、国が上がっていこうとすれば世界のためになりうる道に従っていかなければならないし、世界が上がっていこうとすれば、世界以上があるならそこのためになりうる道に従っていかなければなりません。ところで「それは間違いだ。それは違う。違う」このように否定しようとするのです。しかし、それは事実です。(一九八二・三・七、世界宣教本部)

 

  法は、互いに争ってはならないという、「争いを防ぐ法」、互いのために生きなければならないので「ために生きろという法」があるのです。争いを防ぐ法、「ために生きろという法」、このようなことを教えたのです。

 

 それでは、争いを防ごうと思えば、どうしなければならないでしょうか? お兄さんと弟、というときは、お兄さんに従えというのです。なぜ? 先に生まれたから、そうなるのです。宇宙は先に出てきたものが主体になるので、私たちはこのように秩序を立てていくのです。その、先にあるものが神様と通じます。先にあるものは神様と通じるというのです、神様が一番先にいたので。だから、そのような秩序を中心とした防止法が出てきたのだ、このように考えるのです。

 では、父母と兄弟とがいるときはどう考えるのでしょうか? それは先にいるのが父母だから父母に従わなければなりません。それが法です。秩序的法が適用されます。分かりますか、何の話か? 私は突然に生まれたので、だれも干渉できないと言いますが、そこにはおじさんなど、親戚もいるし、いろいろいるというのです。一族圏内に生まれました。それゆえ「私の勝手にしよう」というのではなく、秩序によって一族に、自分よりすぐれた人たちを中心として、そこに歩調を合わせて和することのできるこのような法が自動的に出てきたのです。さあ、皆さんは「法が何だ?」「法がなぜ必要なのか?」と思うでしょうが、とんでもありません。法が絶対必要なのです。万一自分の主張ばかりするようになれば、これは争って一番最後に強い奴が一人残って、ほかの人が死んでしまえば、それでは終わりです。

  個人は個人どうし、男性は女性のために女性は男性のために生き、父母は息子のために息子は父母のために生き、兄弟は互いのために生きろというそれが法です。分かりますか、何の話か? そのような法があるのですが、その法を完全に通過するものは何かと言えば真の愛です。真の愛を持ってために生きる立場で犠牲奉仕しなければなりません、犠牲奉仕。結局はすべての法がここに屈伏するようになっているのであり、法にこれが屈伏させられはしません。この宇宙にこのように高く手をパッと開いて、どこに行ってこのようにしても引っ掛かるものがなくすべて通過します。パスします。分かりますか? (はい)。だから先生は皆さんに真の愛を持ってために生きなさいと、犠牲奉仕しなさいと言うのです。簡単なことです。

  だから、兄と弟の位置が反対になったと考えてみなさい。お兄さんが弟に「ああ、君、すまないね。僕が君のために」といくら言ってみたところで、これはそのまま自動的に秩序が正されるようになっているのです。お兄さんが弟を見て「お兄さん」だと言ったところで、それは破壊されないというのです。分かりますか? 父母が自分のため以上に子女たちのために生きるからと言って秩序が破壊されるでしょうか? だからと言って息子、娘がお母さんに重荷を負わせて食い物にしますか? 「お母さんが私にそうしてくれるなら、私はそれ以上にお母さんのために生きます」と言いながら、報いようとするのです。秩序を守らなければならないという本心があるというのです。それが本心だというのです。何の話か分かりますか

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