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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

我らが願うその国へ行かん(2月6日)

Feb.6.2019 今日の訓読のみ言

我らが願うその国へ行かん

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 神に目的があれば、目的に向って進まなければならない使命がある。その使命を神自身は出来ない。そこにおいて人間が必要なのです。神の目的は何か、善なる世界である。この宇宙がひとつの心情を中心として、神を中心として同じ家庭になることを目的とする。だから、人間の望みがある前に、神の望みがなければならない。人間の事情がある前に、神の事情がなければならない。希望と事情は人間より始まったものではなく神から始まったものでなければならない。我々は神の願う望みとひとつになって、我は通過物として目的に向かう願いが立っておるにもかかわらず、その願いを願いとしてたち得ず、目的に向かう方向を持たずしていくら願っても、それは果たし得ない。

 

 また、人は皆に歓迎され、宇宙のすべての存在より讃えられたい。また愛したい、愛されたい。それを思うのであります。それは本心の願いです。その愛たる自分より始まったものではありません。だから自分のもののように使う者はどろぼうである。いくら自分が好むように愛していっても、それを通して人間本来の望みの世界、善なる目的完成の世界や宇宙は生まれて来ません。しかし愛情なくしては、平和も幸福もない。あらゆる人間理想の要点として、愛情はなにより必要だ。だから、自分から始まった希望は世界的になり得やしない。自分始まった事情は世界的事情にならない。自分から始まった愛情は世界的愛情にならない。その希望であるべき本来の指針がある。その事情であるべき本来の主旨がある。愛情であるべき本来の主人がある。そのものを自分のものとしている者は皆どろぼうである。それは罰せられなければならないものである。そういう立場に立っているのが現世の人間、人類である。いくらでかいことをいってもみんな泥棒である。だから、そういう人達が住んでおる世界だから、この世界は罪の世界である。そうなるでしょう。だから終末期には天の審きがあるという言葉も、歴史的に証明せざるを得ない尊い結論の言葉である

 

 そういう立場からすれば世界中泥棒の国である。いつわりの国である。だから、こういう国より聖なる国を望む。それが本来の人間の姿であるというのです。「我等が願うその国へ行かん」と、その国は今のこの国じゃありませんよ。民主主義でもなく、共産主義でもなく、日本の国粋主義でもない。じゃあ、そういうふうに考えると、ああわかりました。さあ、行こう行こう。その方法、その行き方を教えるのが統一協会です。それを先頭に立って開拓しながら、正しい道を開いてやろうというのが統一協会の使命であり、統一協会を指導する先生の生涯の目標である。

 

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