生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
生涯はあまりにも短い
地上生活と霊界 天聖経
人間の一生は短いのです。生涯において10年がいつ過ぎたのか知らないのです。結婚して30年以内に、すべてのものが決定されるのです。それゆえに、人生の道はいつも待っていません。忙しいのです。そして、死ななくてはなりません。死なないですか。死なない自信がありますか。死ななくてはなりませんね。死ねばどこへ行きますか。霊界があることを知っていますか。先生は霊界を知っているがゆえに一生をかけてこの仕事をしています。世界をすべて料理しながらです。この世はつかの間です。10カ月の腹中生活と同じです。
統一教会は、その霊界へ行くことができる準備をするのです。ですから統一教会は、霊界で合格するための準備をする所です。では、そこで完全に合格するか、不完全に合格するかというのです。また、落第生になって不合格になることもあるというのです。このように見る時、皆さんは霊界に行く準備を地上でしなければなりません。地上という所は、旅人の旅路のようなものです。いろいろな過程を通過します。女性としてある父母から生まれて育ち、今は年も取るだけ取ってどこで生まれたのかも分かりませんが、そのように育ち男性に出会い、共に道を歩んできながら愛を通して子供も生むようになります。そのようなことをしていきながら苦労するのです。ちょうど苦労して馬車を引っ張っていくように……。
ところが、その車がいつ故障するか分かりません。険しい岩の道を通ることもあるでしょう。そこで誤ってしまうと故障するのです。故障すればどのようになりますか。これ以上行くことができません。それを修理しなければなりません。修理する能力がないと大変です。それで、力や能力がない場合には1年もかかり、2年もかかり、10年もかかるのです。そこを抜け出てくることができなければ死ぬのです。そのような旅路を行くのです。時には旅館に入っていっていろいろな人に出会ったり、時には立ち寄る所もいろいろあるでしょう。人生は、一つの旅行の道のようなものです。そうして行く所が結局は霊界なのです。
一生というものは早いのです。一生は本当に早いのです。物事の分別がつき事情を知って、ああだこうだしているうちに40を越えればすぐ50であり、10年はつかの間です。50ならば60はつかの間で、60になれば70がつかの間で、私も静かに考えてみると「一場春夢」という言葉を実感するのです。
私たちの人生の一代というのはつかの間です。この一代が永遠の尺度を上げたり下げたりするというのです。秤と同じように上がったり下がったりするのです。そのようになっているというのです。
皆さん、見てください。皆さんが80年生きたとしましょう。その中で夜に寝る時間を除くと40年に減ります。半分に減るのです。寝ることも生きていることですか。寝ることは死んだことと同じです。寝ることは死んだ命なのです。それゆえに、24時間の中で生きようとあくせくする時間は半分にしかなりません。
またここで御飯を食べる時間を1時間ずつ抜いてしまうとどうですか。御飯を食べる時間を1時間と考えなければなりません。またその中で友人の祝宴の日、町内の人の還暦日、誰かが死んだ日、葬式を執り行う日、病んで横になっている日、あらゆる日を除くと、生涯において生きている日が半分にもなりますか。この前計算してみると、生きているということが7年と出てきます。その7年の中で「本当に生きた」と言うことのできる日が何日出てくるかです。何日にもなりません。
この肉身世界は短い期間なのです。長くないというのです。それを知れば眠る時間が惜しいのであり、御飯を食べる時間が惜しいのです。御飯を食べることも行きながら食べます。寝るのも行きながら寝て、遊ぶのも行きながら遊んで……。それはどれほど悲惨ですか。そうであればあるほど、世界の誰も受けられない福を受けるのです。これは歴史的な内容だということを、皆さんが知らなければなりません。
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