生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
祈りと行動
祈祷の重要性 1979年4月15日
ベルベディアにて
あなた方は善の問題を起こさなければなりません。あなた方は、天の問題の起こし屋です。レバレンド・ムーンは、天の善の問題の起こし屋としてアメリカに来ました。だからアメリカは、レバレンド・ムーンを好きではありません。アメリカは独立後発展し、世界の一等国になり、文化社会もすばらしくなりました。そこへレバレンド・ムーンが来て、空手チョップやキックを加えました。アメリカの人々は、「あなたは誰か。こうして私の平和を壊すのか」と言っています。しかし私はアメリカを滅ぼすために来たのではありません。私はアメリカに大きな危機が迫っていると警告に来たのです。ダムが壊れようとしています。誰かがそれを知らせて危機が迫っていると人々を起こさなければなりません。戦いが始まろうとしているので、腕を捲って戦備しなければなりません。
あなた方の心と体、精神は、それに立ち向かう準備ができましたか。私はすべてを準備しましたが、もし足らなければ、あなた方が「助けてください」と言えば神は「息子よ、私はあなたのすぐ後ろにいる」と言うでしょう。そのような真剣な状態で神に祈れば、神は「行きなさい」と言うでしょう。神は「この男、女はまちがいない。彼らは完全に決意している」と思って、彼らに対して確信を持ち、彼らにより力を与えるでしょう。私の場合、時々、祈る以前の考えている段階で、神は私が祈ろうとしている内容を知っておられ、既にそれが満たされているのです。そういう経験を私は持っています。神は何段階も前を行なっていて、私に対して笑いながら「私がやったことを見たか」と話しかけられます。
あなた方は祈りの態度・環境・基盤をつくらなければなりません。それをつくるためには、暗い部屋で何時間も待っているよりも、外に出て、一人の命を救うために家庭教会地域の戸を叩き、たとえ唾をかけられたとしても歩むのです。そのような迫害を受けながら活動する方が、暗い部屋で祈っているよりも、ずっと良いのです。祈りは、あなたが全力を尽くして歩んでも、なお満たされなかった時に、神に「私は全力を尽くしました。私を助けてください」と祈るのです。もし、あなたが助けを必要としないで出来れば、神に助けを求める必要はありません。「神よ、私は一人でもできます。見ていてください」と。
ところで、神様はお祈りをされると思いますか。考えてみましょう。父親、母親についてみてみれば、親は「私の息子・娘が良くなってほしい。ああしてほしい、こうしてほしい」と呟き、一人言を言いますね。神も同じです。神はあなたのために、私のために、統一教会のために呟き、一人言を言います。「統一教会は、きょうどうだったか。私の息子・娘よ、強く進んでほしい。私はいつもあなた方の後ろにいる」と。危急の時は、神も落ち着いていられません。それが神様の祈りです。あなた方も、時には座って祈る必要がないでしょう。自分自身に、「私はこうしなければならない。あれもしなければならない。神は、先生は、今が非常時だと宣言された。だから、もっと働かなければならない」と呟いて、神様に話しかけなければならないでしょう。歩きながらも地下鉄に乗っている時でも、どこでも呟くのです。それがあなた方の祈りなのです。
実際、私たちは先に祈って、後で行動しますが、本当は祈りと行動とは一緒なのです。祈りながら行動するのです。祈りながら座って待つ、というのは良くないことです。あなた方が最後の血の一滴、最後の涙の一滴までも流しきった後で、神に求めるなら、神はダッシュしてあなた方の所に来るでしょう。そういう祈りは聞かれるのです。あなた方が全力を尽くしきった後の祈りが、もし聞き入られないようなら、どうして私たちはサタンを屈服させることができるでしょうか。六千年間、神に心痛を与えて悩ましてきたサタンを屈服できないとすれば、それはおしまいです。だから、何か道があるはずです。
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