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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

真の子女になりましょう(1)(3月8日)

Mar.8.2018今日の訓読のみ言

真の子女になりましょう(1)

1969420日 聖日説教 松濤本部にて

 

 「真の子女」ということを思う時、子供というだけを考えれば簡単な内容のようでありますけれど、歴史を通じて求めてきた内容を考えれば、これ以上複雑な、これ以上大きな問題をかかえているものはないということを我々は知っております。今、ここに集っている個人個人を考えても、いかにしても真なる子女としての基準に立たなければならない我々であることをはっきり知らなければなりません。堕落した人間の子女として生まれた以上、復帰路程を通過して真なる神の子女にたち帰ることを、我々は最高の願いとして求めなければならないのです。この使命、責任を果たさなければならないのが、堕落圏内にある我々であるのです

 「真の子女」という言葉を考えてみた時に、その背後には「真の父母」がなければなりません。真なる親を迎え、真なる親と共に善なる何事をもなさなければ真なる子女の関係を結ぶことはできない。我々は本当に真なる親を知って迎えているか、真なる親を持っているか、真なる親のみもとによって生きているか。そのためには、真なる親の基準が決定されているかということが問題である。これが決定されていない以上は真なる子女としての基準を探し出すことはできない。だから、真なる親がこの地上に現われなければならない

 もし、神があったならば、そして、人間に真なる子女となるべき目的を求めているならば、神は真なる親の立場に立たなければならない。我々は実体を持っている人間に対してそういうふうにするには、真なる親と子女との関係をいかに結ぶかということも問題になる。特に堕落した人間にとっては、神がいるかいないかということさえ分らない。神は実在します。その神は、我々のすべてに代えても否定できない真なる父母の立場に立っている。こういう認識をいかに体験し得るかということが何よりも重大な問題である。

 神が六千年の歴史を通して摂理してきたその基準は何であるか。それは真なる親の立場を人間に表わしてきた基準である。それが今まで摂理上において神がなさなければならなかった使命である。それがなされた場合、その真なる父母に対して、真なる子女ときて立ち得る関係を結ばなければならない。これが果たせずして、真なる家庭、真なる氏族、国家、世界は望まれない。だから、個人個人が神に対して孝行し、奉仕し、そのなすこと、主張することが、真の親に対しての関係をはっきりさせる立場に立たなければ、神とは関係ない。

真なる父母と真なる神の願う基準の心情に一致し、それに徹しなければならないということは、何よりも重大な、まずもって世界を救うためにの基準であり、その基準を体験していかなければならないということを、なし得たとしても、再びその基準を通過しなければならない。もともと創造本然の世界においては、神が人間創造した当時においては、その立たせた基準は判然としていた。このような真の親と真の子女として、永遠に保障し得るような神の愛を中心として一体となったならば、我々に願われている第二の真の親と子女としての基準は必要でなかった。

 我々は生まれながら、母親のふところに抱かれるその時より、真なる父母の基準において生まれてきたか。生まれていない。だから、我々は真なる親のふところに抱かれる子女の様相を、たち返して考えなければならない。

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