自叙伝 P.152
私は人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて聞くようになります。10時間、20時間と拒(こば)まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私の真実の心の内も真摯(しんし)に話してあげました。そして、涙を流して祈りしました。涙を流して夜通し祈ったので、板の間が乾く日がありませんでした。板の間は私の血と汗と涙でいつも濡(ぬ)れていました。
私は生涯を祈りと説教で生きてきました。しかし、今でも人々の前に立つ時は恐ろしさを感じます。人の前で公的な話をするということは、数多くの生命を生かしもすれば殺しもすることだからです。私の言葉を聞く人を生命の道に導かなければならないということは、本当に重大な問題です。生死の分岐点に立って、いずれが生の道であり死の道であるかをはっきりと判定し、心の底から訴えなければならないのです。
今も私は説教の内容を前もって定めません。前もって準備すれば、説教に私的な目的が入り込むかもしれません。頭の中の知識を誇ることはできますが、切実な心情を吐(は)き出すことができなくなってしまいます。私は公の席に出る前には、必ず10時間以上お祈りをして真心を捧げます。そうやって根を深くするのです。葉っぱは少々虫に食われても、根が深ければ影響はありません。それと同じで、言葉が舌足らずでも真実の心さえあればよいのです。
教会を始めた頃、私は作業着に使っていた黒い染みの付いた米軍兵士のジャンパーを着て、壇上に立って汗と涙にまみれて説教しました。痛突しない日がありませんでした。涙が心の中に充満して外に流れ出しました。気が遠くなり、息が絶えてしまうような日々でした。衣服は汗にまみれ、頭からは汗の粒が流れ落ちてきました。
青披洞教会の頃は誰もが苦労しましたが、特に私が初代協会長として立てた劉(ユ)孝元(ヒョウォン)は実に多くの苦労をしました。片足が不自由で、しかも肺が痛くて体がきついのに、1日18時間の原理講義を3年8ヶ月も続けました。食べる物も芳(かんば)しくなく、 1日に麦ご飯2杯で耐え忍び、おかずは生キムチを漬けて一晩寝かして食べるのがやっとでした。彼の好物といえばアミの塩辛です。部屋の一方の隅にアミの塩辛を置いておき、それを一つかみずつ取って食べて、困難な日々を辛抱しました。おなかが空いて、疲れ果てて、板の間に元気なく横たわっていた劉孝元を見ると、本当に胸が痛かったのです。サザエの塩辛でも漬けてあげたい気持ちでした。滝のようにあふれ出す私の話を、痛む体でよく整理して書き留めた彼を思えば、今も心が痛みます。
多くの信徒の犠牲を肥やしにして教会はどんどん育ちました。誰もが「死んでも御旨をなそう」という切迫した心情で頑張りました。