生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神が全ての問題の解決の鍵である
「神の悲しみと人間の無知」
1975年10月14日(解放記念日)
ベルベディアにて
一つのものに全精神を集中させれば、自然が、海が語りかけていることを知るでしょう。肉身が心と戦っている時、もっと心の方に、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらから聞こえてくるでしょうか。そのように、神をみつけるのです。そのようなことに集中して、黙想する時、風が吹けば、神秘的な音楽を聞き、太陽がのぼり、小鳥がさえずる時、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした。
自分が、気が違ったのではないかと思って、その場を歩き出し、また、もどって来ると、不思議な世界に入っていきました。それは、サタンのものではありません。サタン世界は恐怖であるが、神の世界は、神秘で何かに酔ったみたいに好い気持ちです。もし、それが嵩じてくると、神と対話できないだろうかと、願うようになります。平和と愛との境地に入ると、神と出会い、そこに神の声が聞こえてくるようになります。耳が開ききって、鋭く、神経が動くようになります。
ある方角を歩きながら、無意識に方角を変えて、ある人にぶつかる時があります。その人に、神が会えと言っているのです。その人は、自分が初めて会った人でも、長いこと会いたいと思っていた人のように、その人の前に、おじぎをしています。その人は「何故、おじぎをするのですか」と驚きます。「私は、何度もあなたを幻にみて、何度も会っていました。昨夜も、あなたを幻にみました」と。そのようなことを通して、神が、私を導いていることを知りまします。私ではなく、神が会いたかった人だと知りました。そのようなことが、何度もありました。しかし、このようなことを言うと、みんなは、影響されて洗脳されたと、また、私をせめるでしょう。神が、世界の問題の全ての解決の鍵です。
善いことがある時には、必ず誘惑があります。長い時間すわっていると足が痛くなります。足が痛い、先生、早く終わらないかなあと思いながらがまんしていると最後には頭の先まで麻痺してくる時があります。サタンが誘惑するのです。しかし、ある一点を越えれば頭がすっきりして、目がパッチリ開いて、良くわかるようになります。このようなことは、私の妻にも話したことがありません。
私はいつも自然を愛しました。牢獄にいる時も、しらみを腋の下から二匹みつけて、それをかわいがり、それを愛することに没頭しました。愛する対象がなかったので、ものすごく愛しました。絶対に殺しませんでした。それをみて、みんな私のことを気違いだと思ったと思います。何故、牢獄の話をしているかと言うと、最も困難な時、神をみつけるということを教えたいからです。
沢山の人が神をみつけられずに教会を去っていき、一人になってしまった時、自分が間違っているのかと思う時、困難にぶつかって、みんなそれをこえられず去って行くのです。神をみつけられずに去っていった人が、みつけられなかったのだから、その人が行かなかった道を行かねばなりません。誰も行けなかった拷問のような道をいけば、神に出会うのです。原理をみつけるまでは、私は暗の中を誰も知らない苦労の道を通ってきました。神は普通の人と比べて、このところまできたら、おまえを認めると言われました。この蕩減の道を行った時、神は最高の恵みを下さいました。
もし、今まで言われてきた噂をみんなが全部知ったら、教会を去る人が沢山でてくるでしょう。私は止めません。そういう人は行けばいいのです。
神が人を探してきた路程を思うと、今の何十万倍もむずかしかった、そのことを思う時、祈ることすら辛いことがあります。
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