1976年9月20日 ワシントン大会後ベルベディアに於けるみ言
先生はどんなに苦労が絶えなくとも、もっと苦労しようと思う。もっと誤解され、もっと非難されようとも、それに一言も文句を言わず全て受け、たずさえて霊界へ行こう。そしてひき続いて伝統を立てて行こう。そうすればいずれは、我々のやっていること、我々の真理は勝利を収めるようになる。先生は分かっている。だから先生は霊界にいても、地上にいても働き続ける。
先生が生きている間に、統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。仕事は続くのである。そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、その中心となっている。先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、問題なく、統一の世界を目指しておる。先生が死んで霊界に行ったとしても、いつでもあんた達に現れてあげる。この地上に、同じ様に伝統を持って、完全な神の国を造るまで、これが先生のやっている一番重要な作戦だ。先生のやっているのは、10年先のためではない永遠を基準として作戦を立てているのだ。先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。
先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。あんた達には見えないけれど。あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。先生はその時間表をはっきりと知っている。必ず来る。新しい世界新しい生活が必ず開かれる。
先生が20代だった時には何もなかった。全く一握りの何ものも持たなかった。そこから基盤を造ってきた。そういう基台の上で皆さんは全て与えられている。だから何故先生以上のことが出来ない筈があろうか。あらゆる確証をもち、あらゆる物質をもち、あらゆる経験が例として与えられているじゃないか。先生は、誰よりも自分自身がここ30年間奴隷のごとくに自分自身を酷使してきた。…考える以上、自分自身を奴隷化してきたのである。しかし神の中においては、自分自身決して奴隷とは思わなかった。それはチャンピオンである。天国のチャンピオンであり、開拓者であると思ってきた。そして霊界におるたくさんの、何千、何百万の奴隷が鎖で繋がれて苦しんでいるのを見てきた。自分のことでは先生はまさに奴隷であった。共産主義の強制収容所でもそうであった。しかし、今や奴隷としてではなく、神の子として、その奴隷以上に惨めな立場を自ら進んで担ったのである。自分のことは誇るな、歴史が明らかにするであろう。
神の息子を打ち、神の息子を奴隷としたならば、その結果は非常に大きい。その裁きは大きく、歴史は決して許さないだろう。だから神の息子である、神の娘である、ということをまず分かって、そして奴隷のように仕事をしなければならない。としても落胆することはない。それは最も高潔な神聖な仕事である。自分の心の誇りをもって頑張るべきである。