生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
神を慕う
2次修練会におけるお話 1967/7/6
忠孝の源 初版 213
ここで1週間断食した人手をあげて。(はい) 断食中に何を学ぶかというんだね。7日の終わりの時、あと10分というその間に待ちこがれるその心持。切実さ、あらゆる神経が集中、統一される真剣さ、しかし、それを忘れて神を愛する基準、それを育てなければならない。腹がへるのは真実中の真実だよ。しかし、それ以上神を愛する。神を慕う。その上にある心情は天に帰らざるを得ない。
何年か前に家を出た旦那さんの帰ってくるのを待ち望んでいる奥さんの心情、雨が降れば、雨の中にその心情をかきたてられるその姿、君達の生活の中にも、そういう心情の体験が3日に2回か3回以上、まあ毎日そういう思いを体験するような生活をしなければならない。ある時は町を歩きながら、神が恋しくてたまらない。それで、ぼやっと立って、そうして一人では自分の体を支えることが出来なくて、電信柱をかかえて祈る、そういうような時がある? いかにこの世に恋があり、恋人があっても、こんなことはない。心情的に、いわば飢えた立場で神を慕ったことがあるか。イエス様を、主を慕ったことがあるか。一切れのパン以上に思い得ない信仰の心であってはならない。
+α
第2部
生命をかけた真の愛と平和の道
文鮮明先生の海洋に対するビジョン
(1987年に発刊された『神のみ旨と海洋摂理』の序文に掲載された文章)
勿論、このような活動は、海洋教会を担当した新しい責任者たちの為の訓練の基礎となっています。正しく開発さえされれば、海洋資源は商業的な面だけでなく、世界各所で飢餓で死んでいる多くの人々を活かすことができる高蛋白食品として途方もない可能性を持っています。しかし、現在の米国水産業の沈滞は、技術の不足というよりも、霊的かつ人格的な問題に起因したものです。そして海洋教会は、根本的にこのような霊性を回復する為の運動を展開しています
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