今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

神様の解放のための生涯(3月3日)

 「真の神様」 第一章 より抜粋

 私が悔しいとすればどれほど悔しいでしょうか。歴史上で私以上に悔しい人はいないでしょう。痛哭せよというとき、私以上に痛哭する人はいません。

この地上で千年歴史を抱き、失った悲しみを抱いて痛哭する痛哭、文総裁が心から流れ出る神様の心情を感じながら痛哭するその痛哭には及びません。 (180-50, 1988.8.20)

 いつも気分のいい男の姿をして困難な蕩減の峠を平気で越え、神様に侍り続け、神様を慰労しながら峠を越えなければ平和の地上天国はできません。その代表者、公的な人は孤独な人です。ある一人の人が立ち上がって「文先生はこのようなことをされ……」と一言言えば、先生は痛哭する心情をもっています。年を取って涙が渇れる七十のおじいさんなのに、誰もその悲しみの涙が流れるのを止められない寂しさをもっています。そのような父母がいるということを忘れてはなりません。(183-86, 1988.10.29)



皆さん、考えてみてください。私は監獄生活をたくさんしました。五年以上監獄生活をしましたが、雨が降って軒先から落ちる水滴が岩に穴を開けるということを思い、「私の愛の涙の粒が神様の胸の中にしこりとなった恨の岩を貫通することができるならば、そうできれば……」と思いながら、その水滴を見て痛哭した事情が皆さんには分からないことでしょう。流れていく水を見て、この水の流れが神様をお迎えして神様が来られて沐浴することのできる澄んだ水の流れとなったらどれほど良いでしょうか。そのような愛の巣、安息所を、人間として神様に準備してさしあげることのできる子となったらどれほど良いでしょうか。そのような心情の深い世界を皆さんが体験できないとすれば、神様と関係がないのです。 
(185-45, 1989.1.1)

 憤りをどれほど堪えてきたことか知れません。息が詰まり、この五感すべてが一度に詰まって痛哭したことがどれほどたくさんあったことでしょうか。皆さんに会うためではありません。   人類の主権者たちを屈服させるためです。どういうことか分かりますか。こん棒や銃剣によってではありません。愛の血統を通して彼らを感化して自然屈服させなければ、天地に神様の願う平和の園ができません。平和の王国建設は不可能です(203-228, 1990, 1.6.26)



   自分の欲心を中心として統一教会を利用しようという人、ありとあらゆることをした人を歴史上見かけても、知っていてもだまされたふりをしてやりました。なぜだまされてやるのでしょうか。神様が今までそのようにしてだまされてきました。裏切り、背を向ける姿を見るたびにあきれ驚いて「あいつ、雷を落として首を、日本刀があったら一気に首を落としてやりたい」という憤慨と悔しい思いが爆発するのですが、彼らが帰ってくることを願っている天の心があることを思うと、そうはできないのです。かわいそうな神様にすがって許そうという心をもってきたところ、そのたびに節ができます。分かりますか。統一教会の一つの節ができるのです。竹に節があるように、節ができるのです。そうして家庭的節目、氏族的節目、民族的節目を刻んでいくのです。
(197-312, 1990.1.20)

 


公開質問状&反論まとめ


       教会の「声明文」と「第三弾」に対する反論と提案(その3)


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