<み言>
「蕩減の法則は宇宙を左右する」
蕩減というものは必ずある。戦争とかという時には国家的蕩減だよ。だから、個人的にはいくら顔を見ても戦争に行って死ぬような顔はしていない人でも、神様はある国をいつまでも苦しみの中に苦労させたくないから、その期間がすぐ過ぎてしまうように、国家的蕩減を負って死ぬ者があるんだよ。
個人の罪で、当然の罰を受けて死ぬ者もあるけれども、日本だったら日本一億の民が昔から今までずうっと積んできた国家的な罪のために死ぬ者もある。そういう時には日本中で一番立派な人が死ぬようにさせる。その人一人に対して何万人を救うというような条件でもって。死ぬベき人でないような人が死ぬ。あなた達もそうだよ、蕩減を受ける。自分の過ちで蕩減を受けるのは当然の事だよ。しかし、他人の罪でもって蕩減を受ける。特に統一教会の兄姉達はそうなんだよ。
ある人に対して心をこめて祈ると、その人の蕩減すべき罪の影響を自分が受けるんだよ。そうするとその人の罪は蕩滅される。例えて言えば、天から見て我々は1000の価値があるとする、そして、相手の人は10の価値しかないとすると、むこうが100遍打たれなければ蕩減できない所を、我々が1遍打たれるだけで蕩減できるんだよ。だから身代わりに蕩減するんだ。
忠孝の源 初版 P274
<追記>
この動画をご覧になった読者からメッセージが届きましたのでご紹介いたします。
セウォル号沈没事故と同じ
この講演会が行われた翌日(9月27日)に悲しくも、この神山先生の警告が間髪を入れず成就してしまったように感じます。
ご存知のように、御嶽山で祝福二世2人を含む教会員4名の尊い命が犠牲となりました。この日、昼12時に山頂近くで一緒にお弁当を食べようと約束して登り始めた一行でしたが、噴火後この約束の時間通りに山頂まで登りついた4名と連絡が取れなくなったのです。この御嶽山登山は、公式的には東愛知教区豊田教会の壮年部の自主的な企画だったとされていますが、実際は教区主催の山水苑行事として企画された登山で、11家庭17名が参加しました。主な参加者は教会公職者や教会を支える中心メンバーと、その家族の方々でした。
犠牲になった壮年の会社では捜索の為にすぐさま現地に人を送り、祝福二世の子女が通っていた学校ではその後すぐに学校行事などを自粛し、教職員やPTAが動きました。
ところが、あろうことか教会本部は、事故後すぐに第1報の連絡を受けていたにもかかわらず、この事実を公式的には30日まで(4日間も)伏せていました。即座に責任を持って対応しなければならない教会本部は “諸事情の為”ーー教会リーダーの名誉博士号伝授式典などお祝いごとをそのまま続行する等ーー対応はちぐはぐで、後手後手になってしまいました。
たとえご遺族が、個人のお名前や所属などが公開されることを憂慮されていたとしても、教会の慶祝行事は自粛し、捜索団を直ちに現地に送ることぐらいはできたはずです。
これは、ちょうどセウォル号の船内放送の言葉を守った人たちが犠牲となったように、登山前の約束をしっかりと守った人が犠牲となり、責任を持つべき船長や船員たちが乗客を船内に残したまま先に脱出して、自らの命を優先した行為に酷似しているように感じられます。この事故には天が聖い命を犠牲にさせてでも警告したいメッセージがあったのだと思います。
私たち祝福家庭は今、このような尊い犠牲の上にかろうじて立っていることを自覚し、本当に心から悔い改めて、み旨成就の為に立ち上がらなければならないと思います。