今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

神山先生講演文 (4)

刑務所の中で私は多くのことを学びました

お父様というお方を 24 時間、朝から晩まで晩から朝まで、私はお父様に侍ることが許され。お父様というお方がどういうお方かということを、たくさん学ぶことができました 。

その学んだ中のいくつかを今日、皆さんにお話ししたいと思います。刑務所に入ると、裸にされ、そして刃物を持ってきてないか、麻薬を持ってきてないかと調べられました。それでお父様も裸にされて調べられた後 ‘ 囚人服を着るように ’と言われ、その囚人服はその日刑務所を出て行った囚人たちが脱ぎ捨てて洗濯物の箱に投げ入れられていたもので、それを使えというのです。私は怒りを隠すことが出来ませんでした。文明国家であるアメリカが囚人達が使った臭いの染み付いた囚人服を下着パンツを使えと。

刑務所に行った、7 月 20 日その日は暑い夏の季節でした。汚れた洗濯物の中から汗が染みた臭いのする下着をつけなければなりませんでした。汚れた洗濯物の中から ・・・・。私はともかくとして心から尊敬するお父様がアメリカを救うために来られた、お父様が悲惨な屈辱な道を行かなければならないと思う時に本当に心が痛みました。囚人服を着て私達に与えられたベッドルームに行きました。  
そのベッドルームがどういうベッドルームだったかというと、 (写真を見せる)二段ベッド と マットだけが、藁で作ったような 、かたいベッドがありました 。
           
どうやって寝るのだろうと思っていると、ある囚人が来て「シーツなんかないよ。枕もないよ。あるとしたらあの洗濯箱の中から持ってきたらいいよ」と教えてくれたので、私は洗濯物のあるところに行って汗の染みついたシーツ、その中でも最もいいようなものを選んでお父様のベッドを作ってさしあげなければならなかった時に私は本当にもうどうすることもできない怒りの思いが湧いてきました。
この刑務所を出た時には絶対許さないぞ。あの検事の奴つめ!家族まで滅ぼしてやるそんな思いになるのでした 。

自分が自分の心に叫ぶのでした、怨讐を愛せ ? 許せ ? ・・・ 許せるか ! ・・・
そんな思いで足掻あがいている私の心を見抜いて、お父様がー「神山、何故そんなに心を騒がせているのだ。先生のことは心配しなくていいから」 でもお父様、心配しなくてもいいといってもこれは あまりにもひどいです 。「いいから、いいから」
「最も惨めな所は最高の所につながる、人類には父母がいない、だから兄弟が喧嘩して争いがあるんだ。父母がいないから父母が、人類の前に真の父母が必要なのだ。その真の父母は最も惨めな所を感謝していかなければ真の父母にはなれない、感謝していくのだ」。お父様、分かりますけどもあまりにも ・・・・ 。
「神山、こう考えてみろ。君、ダイヤモンド知っているか、ダイヤモンドは石炭が熱と環境によって変化してダイヤモンドになった。ダイヤモンドと火をつければ燃えしまう石炭はつながっている。だから最も惨めな所は最高の所につながる。最も惨めな所を感謝して行くのだ。そこに怨むような思いをもってはいけない」。
私の満足していない様子を見て・・・・お父様は私にこう説明してくださいました 。

「神山こう考えてみろ。君、男だろう」。
「 はい、男です」「男だったら男としての生殖器を持っているだろう。
その生殖器を考えてみろ。体にいらないものを排泄する、小便を排泄する器官になっているだろう。それ分かるよね」。はい、「そして、その器官は最も貴い生命を出発させる器官にもなっているだろ。最も尊い生命を出発 させる器官と最もいらないものを排泄するための器官がつながっている。だから最も惨めな所を感謝して消化できないでどうするんだ」といって私を説得してくださいました。

お父様というお方がどういう方かということを身をもって示してくださり本当に感謝でした。怨讐を怨讐視したらいけないということを、私はお父様を通して悟らされました、知らされました。学びました。その様なお父様を私はこの目で見てきたのです。そして、それが「アメリカを救い世界を救う蕩減の道であるとするなら先生は感謝して行く」と。
「だから君も怨むな、復讐心なんか持つな!自分の国よりもこのアメリカをもっと愛せ・・・・・」と。
先生から日本を考えた時に君の国ー日本は怨讐国家だった、しかし日本は敗戦国家となりボロボロになった。敗戦した国を再び拳をあげて打つことを神様が願っていないことを知っているので、先生は日本人を愛した。追われている敵をね。韓国にいたら危ないから逃げるようにと荷物を積んで送り出した先生だ。それで、今、日本の若者がなぜ、先生に従ってくるのか?因果原則によって報いなければならない。だから君もこのアメリカを愛せと諭さとし訓戒して下されるのでした。

ダンベリーの刑務所での生活がどうだったのか、そのことを話してみたいと思います。御言葉を訓読する生活がこのダンベリーの刑務所から始まりました。御言葉を拝読する日々でした。声を出して読むので他の囚人達に迷惑になるので、お父様はどの場所を選んだかというと外に出て読むのです。グラウンドのコーナーに枕木がありました、その場所を訓読の場所と決められ、そこに真のお父様が座りその隣に私が座り拝読したのです。
   
      
読んでは説明してくださり、また読んでは説明してくださいました。そしてある時ー。「神山!先生と一緒に座ったこの枕木は将来有名になるよ。君がこの刑務所を出る時この枕木をもって帰ることが出来たらいいね」と 。そしてある日、雨が降って、外に出て読むことが出来ないので、ベットルームで拝読したことがあります。お父様が座り私が隣に座って御言葉を拝読するのです。拝読しているときに、ある囚人が来て、あなた方はまた本を読んでるのか。その本は聖書なのか! 俺も聖書を持ってる。俺の聖書はこれだ。といって一冊の本をベッドの上にポーンと置いていくのです。 俺の聖書はこれだ、読んでみろと言うので、興味あったので立ち上がり手にとってみ ました。聖書ではなかったのです。エロ雑誌、ハスラーマガジンという最悪なエロ雑誌でした。私はそれを見て、お父様もそれをチラリと見て居られました。私はこの野郎!我々を馬鹿にするのもいい加減にしろという思いから私はそれを持って、拝読していたお父様の御言葉をそこに置いて彼のところへ行こうとしました。お父様が私のここ (ズボン裾すそ
) を持って「おい!どこ行くんだ、どこへ!座れ」「お父様 ~ このエロ雑誌を彼に・・・」「いいから座れ、座れ、読め」み言を読み始めましたが 。み言が耳に入りま せん、心に響きません。読んでいても思いが彼のとこに行っているので -。
「ジャスティンの野郎 ~ 私達をバカにして!」その後、真のお父様は何事もなかったかのように彼に声をかけるのです。「How are you 元気か」 と。私の心の中はけっして穏やかではありませんでした。そして、その数週間たった後のことです。彼がまた私たちがみ言を拝読しているときにやってきて「KAMI 、俺はこの手紙を持って来た」これ読め、と言うのです。 俺は、ハスラーマガジンにRev Moonを悪く批判する内容が書いてあったから頭にきて、俺は編集局宛てに手紙を書いたんだ。その手紙のコピーだが読んでくれと、手紙を置いていったのです。
  
    
手紙の日本語訳がここにあります。読んでみましょう

おれは『ハスラー』誌の愛読者であると共に、ダンベリー刑務所の囚人だ。
おれの友達の囚人、レバレンド・ムーンについて、あんたの記事はあまりにもひどい。かえっておれを笑わせたほどだ。おれにとって、また多くの仲間の囚人たちにとっても(おれは彼らに聞いた)その記事がレバレンド・ムーンを悪く書くつもりであったとしたなら、1マイルも的を外れているよ。

ミス・ターナーの主張はちっぽけだ。ジム・フォレスト、あんたの記事は明らかに薄っぺらい、ヒステリックな記事以外の何ものでもない。レバレンド・ムーンは、我々アメリカ人が我々の子供たちに伝達したいと希望するすべての事柄のために闘っているよ。それは、婚前交渉やドラッグに反対し、反共であり、妻への愛、そして家庭への献身である。彼の教会の何百万の人たちが、あなたが言うように催眠術にかかって歩き回っているというなら、何故あなたがたは一人の人しか例に出さないのか…。不思議でたまらない。
ラリー・フリントン、あんたは誰よりもよく知っているじゃないか …? 抑圧について…。ある特定の人間の意志や法律が他の自由な人々の上に強要されていることを。

最後にこれを言わせてくれ。おれはレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。そして、おれは彼が彼に要求されたすべての義務を遂行するのを見てきた。一言も不平を言わずに、トイレを洗い、床の雑巾がけをし、すべての仕事を笑顔でやっている。ここにいる他の囚人たちについて、同じことが言えたらどんなにいいかと思う。彼は決して偉ぶらない人で、我々仲間の一人として生活している。

おれの家族の訪問日とレバレンド・ムーンの家族の訪問日が同じなので、 おれは、彼が彼の家族に会うのを見て、レバレンド・ムーンが献身的な夫であり、愛し、愛される父親であることも知った。もしこのアメリカにレバレンド・ムーンのような人がもっといたなら、おそらくこの国は今のような悲しい姿にはなっていなかったであろと思うのである。
             
1984年12月 12 日
  ジャスティン・イグナ シオ
連邦刑務所キャンプダンベリープリズン
   
彼はこのような手紙を書きました。レバレンドムーンを批判するとしたら
1マイルも的が外れている。俺はレバレンドムーンと共に働いてるんだ。彼は雑巾で床を拭き、トイレを洗い、全てのことを笑顔でやっている。囚人が真のお父様をこう証するのです。エロ雑誌を俺の聖書だと持ってきたときに、私が感情的になり彼を怨讐視し、なにか危害を与えていたらこの様な手紙を決して書かなかったと思います。私達を馬鹿にする怨讐を愛で見守るお父様の姿をこの目で見ました。

お父様のダンベリーの生活を考えてみて下さい
ここの囚人達が使う、トイレはいつも汚れています、汚い。200人の囚人達が使うのですから。刑務所にいる人たちは、自己中心的な人がほとんどです。トイレに行くでしょう 。それで小便するじゃないですか。使う前は足元が綺麗だから 近くに来て用をします。だんだん床が濡れてくる。次の人が来たらすこし離れて用をする。(笑) そしてそこから飛ばす。そして次の人 はもっと離れた所から飛ばす。そんな話し・・・なにを言ってるかわかりますね。それをお父様が掃除される。掃除されていく・・・・・私は、本 当に、申し訳なくて胸が締め付けられる思いになりました。彼(ジャスティン)もお父様が掃除するその姿を、その状況を見たのです。だから彼は このように証するのです。

お父様は刑務所で囚人達が嫌がる仕事は何か・・・探しておられました。そして嫌な仕事は先生の仕事にすると言われるのです。キッチンで200人の人が食べる食事を作る。囚人達が自分で作るのです。順番に・・・・・。
大きなフライパンに油を注ぎスパゲッティーを作る。油がこぼれてしまう。その油を布巾で拭きとるとその布巾は、ぬるぬる、ベタベタになるの です。それをバケツの中に投げ飛ばして入れる。洗わないといけないのですけれども、誰も洗おうとしません。勿論役人が来て洗え!と言えば、洗わざるを得ないのですけれども自らそれをやる人はいない。お父様は今日からこれを先生の仕事にしよう。

そして、このぬるぬるベタベタになった布巾を一つ一つ強い洗剤で丁寧に洗う洗い終わった布巾は高く積み上げられる。私はそれを見ていることがでません。
お父様 、私がしますから私が洗いますから、なされないでください。
お父様が布巾を洗っている場所に割り込んで、洗おうとすると「これは先生の仕事だ」と、その場を譲ってくれません。ある 囚人が外から帰って来 てきました。ドロドロになった長靴をお父様の目の前で、お父様によって洗われた布巾を奪い取るようにして長靴を拭き、お父様が使っているバケツの中にポーンと投げ入れる。この様子を見ている私は ‘ この野郎! ’ なんて無礼な奴だ!お父様は行動に移そうとする私に「神山、いいから」と宥 めて下さるのでした。そういう生活がお父様の生活でした。  
     
          
厨房で働かれる真のお父様

獄中で捧げる敬礼式

二段ベッドの上の段で、お父様は朝3時には必ず起きられ、お祈りをされました 。そのベッドは、体を動かすとギシギシ、ギシギシ音を出して揺れるのです。お父様は休むときに、そのベッドに上って、そこに横になられるのですが、私が記憶しているところでは、一度たりともブランケット (毛布)をかけて休むことがありませんでした。いつもブランケットの上でそのまま体を横にして休まれて居られました。3時になると起きられ、エビのような姿になりお祈りをなされるのです。

日曜日には、神様の前に敬礼式があります。敬礼そして祈祷。それを欠かしたことがありませんでした。前の日にシャワーを浴びて下着を取り替え、そして休まれ、5時には敬礼式を行ったのです。初めのころは祈祷の場所がなかったので、ドアを開くと外に出られる場所がありました。ドアを 開いてそこのコンクリートのフロワーで、そこでお父様が敬礼式をする。 暗闇に向かって・・・・・。 そういう生活でした。

その後、私は役人の所に行って、「レバレンド・ムーンは宗教者なので、お祈りをします。どうか一つの部屋を使うことを許してください」とお願いし、許しが出て、小さな部屋を使うことができました。お父様がまず神様の前に敬礼したあと、私がお父様に敬礼するのです。本当に心が締めつけられるような思いがしました。私の父も牧師をし、叔父も牧師、私の親族はみんなそのような関係の人たちでした。
ですから、その人たちがするお祈りの仕方をよく知っています。しかし、 お父様のお祈りと彼らのお祈りを比べると違うのです。そこに本当に神様がいらっしゃるように、恭しく敬礼されているお父様の姿を見て、私は本当に強い衝撃 ー ショックを受けました。お父様は日本語でお祈りしてくださいました。
「世界の人たちが先生を思って祈りを送っているその祈る彼らの上に天の祝福があるように」と祈るお父様の姿を見た時、本当に私の胸は強い何かの力に締め付けられているかのように感じました。そういうお父様の祈る 姿をある囚人が遠くで見ていました。‘レバレンド・ムーンは宗教家だから 祈祷するのだ ’ と思っていたそうです。その人が来て「俺も一緒にレバレンド・ムーンとお祈りしたい、行っていいのか」と聞くのです。

ビル・シェパード(Bill Shepard)について彼自身が私に話してくれたことが有りました。
俺はレバレンド・ムーンがここ刑務所に来る前にマスコミからの情報によって悪い感情をもっていた・・・と。
7 月 20 日にレバレンド・ムーンが刑務所入ることを知ったマスコミが多く集まる事を心配した刑務所はロープを張ってマスコミの行動をコントロールしようとしたそうです。その時杭を打ち込んでロープを張る仕事を役人から Bill Shepard が命令されたというのです、その杭を重いハンマーで打ちこむとき、なぜ俺がこんな仕事をしなければいけないのかと恨む怒りの感情をもって ー地獄へ行けMoon!地獄へ行けMoon!と声をだして杭を打ちこんだと言うのです。その ような背景をもつ彼が一緒に祈りたいというので私は本当に心配しました。私はお父様にお伺いしました。ビル・シェパード(Bill Shepard)が一緒に祈りたいというのですけれどもお父様どうしましょうか。お父様の答えは「いいよ、連れて来なさい」。プライドの高い人です。カトリック の信仰をもっていた人でした。私は聖書を使って彼に話をしたこがありました。彼も聖書をよく読む人なので人間が堕落し た結果、罪悪世界になった、復帰はこの様になされると聖書を使って話を
したことのある人でした。彼は原理のみ言を少しであるけれど理解したようです。それで、お父様と一緒に祈りたいと思ったようです。

お父様からお許しが出たことをビル・シェパード(Bill Shepard)に伝えました 。「Rev. Moonは、いいと言っているよ。じゃ~、行こう、行こう」と、ビル・シェパードが喜びました。「カトリック 教会のお祈りとRev. Moon のお祈りは方式が違うから、私に従って、神の前に挨拶しなさい」と前もって注意をして。ビル・シェパードを敬礼式に連れて行きました。お父様の後ろに二人で立ち。お父様が敬礼して祈られ、その後、お父様が椅子に座られました。ビル・シェパードが私に従って挨拶できるか、私もある面心配しました。私の左側に立つビル・シェパードをたえず見ながら敬礼するのですが、彼もまた私の方を見て顔を見合わせながら、神様と真の お父様の前に共に敬礼しました。
その時のことが忘れられません。あのプライドの高いカトリック 教徒が
お父様の前で敬礼するのですから、感動的でした。私が刑務所を出たそれ以降も彼は敬礼式に参加していたそうです。

お父様ご自身が語られたダンベリー刑務所での証しを紹介します

ダンベリー刑務所の環境。先生は刑務所生活に関しては専門家なので、「あの人はどのような罪を犯した」ということがすぐに分かります。良い人か悪い人かということがすべて分かります。そこは社会悪が集約された展示場のような所なので、あらゆる階層の人々に会うことができます。その世界にいる人々の心理状態というものは、「座れば不平」です。 2人が座ろうが、 3人が座ろうが、10人が座ろうが、座れば不平を言うので。すべて「自分が正しくて偉い」と言うのです。自分たちには罪がないというのです。世の中が悪く、判事が悪く、検事が悪いというのです。その次には、国に対する不平を言うのです。先生がアメリカで最も悪い人だといううわさが立ちました。そのような時に、そこに入っていきました。そこに入っていった最初の気分がどうだっただろうか、考えてみてください。今電話をしたという人がビル・シェパード(Bill Shepard)ですが、この人の父親は将軍でした。将軍の息子として悲惨な歴史を経た家庭に生まれたので、この人はとても義憤心が強いのです。それで、「レバレンド・ムーンが本当に悪い人ならば、六カ月以内でレバレンド・ムーンを取り除いてしまおう」ということを徒党を組んで企んだのです。この人が(監獄の中で)そのようなクラブをつくりました。皆さんにはその環境を想像することはできません。ですから、そこに行けば作戦を十分に立てなければなりません。皆さんが社会に伝道に出掛けていって受ける困難は問題ではありません。そこでは、彼らの気が最高度に立っているので、どのようなまねをするか分かりません。包丁を入手しようとすればいくらでも入手することができるのです。そこでどのような事件があったのかというと、昨年までは、運動器具の備えられた運動室がありました。そこで鉄アレイを使って運動をしたりするのですが、誰かが隣の人とぐるになって一人の人をその鉄の塊でたたき殺したのです。ところが、誰が殺したのか今でもその犯人は見つかっていません。監獄には、ありとあらゆるならず者が集まっています。マフィアはいるし、ありとあらゆる者がいます。ある所に入ってみると、前科18 犯の者がいました。どうして前科18 犯になったのか聞いてみると、「ここを出たところで、ここで休みながら食べて暮らすよりは劣るので、避暑地のように出たり入ったりするのだ」と言うのです。そのような者たちと、肩を触れながら生活しました。
(1985・1・1、ニューヨーク、世界宣教本部、ダンベリーの正月連休時)

 彼が全員をムー二ーにしても気にしない。彼が集団結婚式をする前に出してしまえ。

刑務所に行った初めのころは、私たちに対してお父様に対して ‘ Hey, Moon! ’と呼ぶのです。時が過ぎていくうちに、お父様のなされることを見て、お父様を見つめる彼らの視線が本当に変わっていきました。そして私が4 ヶ 月と17 日間の刑期を終えて刑務所を出るころには ‘ファザームーン (Father Moon) 、ファザームーン’ と最高の尊敬心をもって真のお父様を呼ぶようになってきました 。

一ヶ月過ぎたころには、‘ Hey, Moon! ’ から ‘ Mr,Moon’ と敬語をもって呼ぶようになり。そして2ヶ月~ 3ヶ月後になると ‘ Rev.Moon と敬意をもって ’ 呼び方も変わってきました。4ヶ月過ぎたころにはFather Moon と呼ばれるようになりました。真のお父様がサタン世界の人達を自然屈服させ長子権 を復帰する路程をこの目で見てきました。

このように、僕の僕のような位置から、数か月の間にその環境を変えていかれるお父様を私は見ることがてきました 。お父様が説明してくださいました。
「この世界が地獄というならば、刑務所という処は地獄の地獄だ ! 。そして、そこから平面圏に上っていくんだ縦的8段階路程だ僕の僕の位置から」と。

刑務所において、不思議なことが起こりました
後で聞いた話では、本当は、ハッチ上院議員が、お父様を四十日の後に解放すると約束されていたそうですが、それは実行できませんでした。ある何人かの方がお母様と完全に一つになっていたとしたならば、そのような奇跡が起こったということも聞いたことがあります。しかし、オリン・ハッチ議員は四十日後にお父様を解放できませんでした。しかし、お父様は「四十日には不思議なことが起こるよ」
と言われました。
「何かな? 何が起こるのかな?」と思っていました。

お父様が入所されてから四十日目のその日に、刑務所でどんなことが起こったかというと、その刑務所が一般の人に公開され多くの人達がどんどんと入ってきて、刑務所の中を見学することが許されたのです。そのようなことは刑務所の歴史になかったそうです。お父様は言われました。「刑務所というのは地獄の地獄だよ。しかし、そこに一般の人たちが入ってこられたんだ」地獄の地獄から僕の僕の位置から神と相対できる僕の位置に上って来たというのです。ちょうど四十日目でした 。

お父様が刑務所に入られてから四十日の間、グランドをきれいにするとか、何か不思議な動きがあったのですが、四十日後にそのようなことがありました。神様は霊界を通してずっとその日のために準備したと思います。しかし、この地の人たちが条件を立てることができなかったゆえに、具体的なお父様の解放はなかったのですが、ちょうど四十日後に一般人がぞろぞろ刑務所に入ってきたのです。そして、お父様のベッドルーム に も、多くの人達が皆のぞいて行きました。
また、刑務所内にカメラが入ることが許されたので記録写真が残ったのです。神様が永遠にお父様の苦労の歴史を残したかったのでしょう。 不思議な出来事でした。

汚く汚れたパンツ と靴の写真見せながら

                      
私はこの汚れたパンツを ‘永遠に忘れてはならない記念品 ’ にしなければならないと思い刑務所を出るとき持って帰ってきました。 ‘ いつの日にか、 多くの人達に見せてやらなければならない ’ と、証拠物件として持ってきました。今でも私は持っています。これが、最初お父様が履かれた靴です。
    
惨めな、惨めな靴です。その後に刑務所の中で70ドルのお金を使うことが許されました。身の回りの物を買うために。
お父様は一足の靴を買われました。その靴がこの靴です
   
この靴をお父様が訪問客そして、お母様が来られるとき、これを履いて面会室に行くのです。お父様はお母様と面会する時だけは履いて行かれるのです。7 月~ 8月は暑い日が続くため古い靴は汗で臭いが靴に染み込むので、お父様、私が洗っておきますからどうぞ普段も新しい靴を使われてくださいとお願いしても「いいから、いいから」と言われるのです。何故お父様がいいと言われるのか理解に苦しみました。お父様も素直になって洗うようにしたらいいのに・・・ なんて思ってみました。

私が、12月4日に刑務所を出る時、私に洗らわせなかった理由が分かったのです。
「神山、君に先生があげたいものがある。先生がとっておいた」。
ええ? 刑務所で何か私にくださるものがある?「先生は君にあげたいとして靴をとっておいた、この靴を・・・」 と。 (写真 を見せる)
「これ履いていくのだ。履いていくのだ」と。
お父様、結構です。私は刑務所を出たら履くものはいくらでもありますから結構です。「 いいからこの靴を履いていくのだ」。
あまりお父様が強く勧めるのでいただきました。
「これを履いてここを出るように、先生は今日食口たちに指示する指示文の内容を書いておいたからこれを持ってこの靴を履いていくのだ」と。
靴を履こうとしました、お父様がそれを見て「神山、靴の紐の結び方も知らないのか」と言うのです。
知らなくありません、解っています。靴の紐を結ぶくらいのこと・・・。
お父様は「こうやって結ぶのだ」といって私の足元にしゃがみ込み結ぼうとするのです。やめてください。 (笑) お父様がその靴の紐を結んでくださろうとするのです。
私は逃げました。後ずさりしました。なぜか? 二千年前のことがよく分かります。

二千年前、イエス様が洗礼ヨハネについて、「女の生んだ者の中で洗礼ヨハネより大きな人物は起こらなかった(マタイ11 章 11 節)」と言われました。その洗礼ヨハネが、イエス様を証すとき、「私のあとに来る方は、私よりも優れた方で、私はその人の靴の紐を解く値打ちもない (ヨハネ1章・27 節~30 節)」と言ったのです。
「イエス様の靴の紐を解く値打ちもない」と言って、イエス様を証ししました。私も、お父様の靴の紐を解く値打ちもないし結ぶそんな資格もないことをよく知っています。再臨主ですよそのおかたは!・・・ そのお方が、私の為に靴の紐を結ぼうとされるのです。
私は後ずさりして逃げました。お父様の大きな体が逃げる私を追ってくる のです 。
「今日、先生は靴の中にサインしておいた」「神山とも書いておいた」と。貴いお父様のサインを私が足で踏みつけるわけにはいかないじゃないですか。やめてください!「履いていくのだ」。
結果的には結んでもらいました。私の結び方は横にキュッと引っ張る。お父様の結び方は確かに違いました。結び方は。お父様は縦でした。縦的 (写真を見せる)
私は横的。(笑) お父様から頂いたこの靴は私にとって尊い、尊い宝物です 。
  
結んでくださった靴の紐を今でも 私は解くことができません。この状態で大切に、大切に ・・・・。お父様が聖和された後に、OOの場所で保管するから送れというのです。ヤダー!絶対にヤダ ~ (笑) 隠して送らなかった。
今、私は持っています。お父様が使われた下着パンツを・・・大切に保管しています。その価値がわかる人が持つべきです。そう思いません? そうでし ょう ~。

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