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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

み言に対する世界的な伝統を立てなければならない(2月5日)

Feb.5.2018今日の訓読のみ言

み言に対する世界的な伝統を立てなければならない

 「全面的進撃を継続しよう」より抜粋 196911日零時

                                 ソウル協会本部

 先生が強調したことは何であるかというと、伝統を立てることです。伝統を立てるにはどの面において伝統をたてるか、み言に対する伝統を立てなければならないのです。

 統一教会のみ言は韓国において、韓国の統一教人や、あるいは日本の統一教人や米国の統一教人は、み言を中心として、み言を体得することにおいての統一した伝統をもたなければなりません。原理なら原理を中心として、その原理に立脚したそのすべての思考方式、その全ての基準、その全ての生活的な態度、これらが全部み言を中心として、一体化された伝統を立てなければならないのです。これが今まではよくできていなかったのです。それぞれ自分なりの伝統を立ててきましたが、これからは、韓国から日本を経て全世界にわたり統一された伝統を立てなければならないことが残されているのであります。

 先生が外国を巡回するとき、このような点を一番重点的に強調するのであります。み言に対する世界的な伝統を立てなければならないというのです。その次には、今日、み言はみ言で、我々は我々で互いに決裂してはならないのです。み言と共に一体化することのできる人格を構成しなければなりません。いいかえれば、我々の審判には三大審判があり、第一は、み言審判、第二は、人格審判、第三は、心情審判があります。これが絶対的な基準となっています。

 堕落とはなにか。み言が天との一致された立場に人を立てるのができなかったことが、堕落であります。取って食べてはいけないというそのみ言を絶対視して、それが伝統として立てられねばならなかったのでありますが、そうなれなかったので、今日復帰の運命を歩む人間においては、最後に現われる一つの真理のみ言を中心として、一体化されることのできる伝統を立てねばなりません

 天はそうであるが、今日、地上に住んでいる人はそうではありません。これが伝統になっておりません。若し、これが立たなければ、統一教会というものは、これまでの既成教会と同じく、数多い宗派として分裂される可能性があるというのです。いかに伝統化させるかというのが絶対的な問題として展開されるのであります。

 その次には、このみ言は、み言のまま独立しているものではなく、そのみ言を中心として育てることのできる私の者になやなければなりません。この言葉が何の意味であるかというと、神と一つにならなければならないということなのです。それでは、今日皆さんが知っている言葉は何でありましょうか。皆さんの言葉はサタンと関係のある言葉です。今日我々が使って、我々が今追求し、考え、我々がもっている体系というのは、サタンと関係のある世界を()けられない立場であります。どんなものであろうとも、今日の全ての構成要素は、人間を主とした、即ち、堕落圏内を抜けられないものなのです。従って、このみ言でもってそれらの全てのものを革新させねばなりません

 それでは、その在来の言葉にそのまま同化して、共に歩むことができるかといえば、絶対にそうすることはできません。これは完全に決裂されなければなりません。完全に清算されなければなりません。今まで、サタン世界でもっていたサタン的な観念、サタン世界において信じていた全ての習慣までも、全部一掃されねばなりません。いいかえれば、絶対的な基準に該当することのできるみ言を中心として、伝統を立てなければないということです。そして、先生がこのみ言を立てるとき信じたその心、その基準でもって、皆さんはみ言に接しなければなりません。皆さんがみ言を習うとしても、み言を習うその時の基準で信じるため、完全なものではありません。そのみ言の背後に伝統的な基準は、かくれているのです。そのような基準までも体得していかねばならないのです。それ故に、み言に対する伝統を立てていかねばならないのです。

 その次には人格を必要とするのです。人格は何であるか。その人格というのはサタンを屈服させることのできる人格でなければなりません。それでは、統一教会の教人達がいう個性完成の基準はどのような基準ですか。自分が統一教会の教人としてどの位になったといっても、それが統一教会でいう個性完成ではありません。その人格基準は、天が六千年間サタンによって苦しみを受け、サタンが天に苦痛を与えたこの億千万代にわたって許すことのできない、そのサタンを屈服させることのできるそのような人が、本来創造されて、堕落してはならない本然の人格基準であります。

 それではサタンは何でしょうか。天使長であります。神の前においての僕でありました。僕であると同時に天の息子と娘であるアダムとエバをまどわしたへびであります。神の僕は、息子の僕でもあります。しかし、そのような僕が今日、怨讐となって天の前に讒訴する条件をもってくる怪物(悪魔サタン)になってしまったので、これを人格を中心として屈服させなければなりません屈服は力だけでなるのではないのです。み言でもって屈服させなければなりません。そうであるので、イエスに対する試験もみ言でもってしました。み言を中心としてサタンと対決してゆく、サタンがサタンとなった動機から、そして歴史的な犯罪の事実も全部公的な立場で天の前に提示して、我々が検事の立場に立ち、サタンを批判屈服させる人間であってこそ、真にサタンを屈服させる人であります。サタンが今まで堕落した人間をひっぱって、天の前に、公判場に立たせ、全部地獄につれていきました。このようなサタンを屈服させる立場におかれている事実を知らなければなりません。勿論、人間には罪がありますがその動機からよく知っているサタンは、人間を天から隔離(かくり)させるのに主導的役割をして来ました。

 今日、人間達が本来は天の権限を中心とした息子、娘の権利を、このようなサタンも支配することができるようになったのが堕落であるので、堕落した基準を越えるためには、必ず本然のその権利を回復しなければならないので、その本然の権利を回復するためには天は大主宰であり、天地の公法を中心として天地の不義を判断しなければならない。そのようなお方であるため天を裁判長として立て、その前でサタンの全ての罪悪を暴露して、サタンをひっぱってきて、告訴できる検事の資格をそなえ持つことのできるそのような人間になって初めて天の前に立つことのできる人格を持つようになるのである。

 宗教が追求するものは天のみ旨の前に一致しなければならない、結局は天のみ旨の世界に入らなければならない。即ち神の直接主管圏内に入らなければならない。従って、直接主管圏内に入るためにはサタンと完全に隔離(かくり)されて、サタンと永遠に離別できる位置をもつことによって、天の直接的な主管を受けるようになり、そうすることによって我々の人格基準は、サタンを屈服させることができるのであります。そのために今日ここにきた統一教人達は、このような伝統を立てる為にサタンを屈服させ、サタンを主管することができる、このような伝統を立てなければなりません。そうするには歴史的なサタンをよく知らなければなりません。六千年歴史以来、歴史の背後において天の前に数多いどのような罪悪を犯したのか?とそのような事実を持ち出してでる時は、それ自体に頭を下げ、それを公認してそのみ言の前に屈服させることができる立場に立たなければならないのであります。皆さん世の中ではこのように殺人、強盗がいても、それがその環境、その世界である程度は隠れて住むことができます。良心上では若干悪いと思ったとしても、生活は依然としてなすことができます。しかしながら、三尺童子(幼い、無知な者の例え)でさえもその犯罪の真相を直接見て摘発して、いつ、どのような時、どこであなたがどのような犯罪したのを見たと、直告できる時は、その前に頭を下げるのと同じように、今日サタンがサタンとなった動機とすべての真相を我々がひとつひとつ知って、これを讒訴することのできる、すなわち、天の前に、これを告発できるような権限をもって現われる時、初めてサタンは屈服するのであります

 それではサタンを屈服させることのできる資格はどのような資格か? 天を中心としてアダムとエバが天使長と共に堕落したその立場まで我々人間達は越えなければなりません。アダムとエバも堕落する前には堕落というのを知りませんでした。それでは、その立場まで進んでいっては何を成さなければならないか、天を迎えなければなりません。これが第一としてやらなければならないことです。天を迎え、受け入れるためには、この世のすべての因縁を断ち切らなければなりません。断ち切るのは何で切るか。愛の問題絶対信仰、絶対愛、絶対服従、怨讐を自然屈服させる人格、真の愛の人格、そして絶対性でもって切らなければならない。そして又、社会的なすべての要件を否定しなければならない。完全に否定しなければならないすなわち正道は、否定から始まるのです。偉大なる宗教であればあるほど、ある部分だけを否定するのではなく全歴史と現実を否定するのであります。キリスト教はイエス以前、旧約までも否定してきました。その為に、殉教の血を流しながら闘いながらも、今迄歴史過程において発展してきたのであります。それはなぜそうならねばならないか。人格基準が天の愛としては絶対的であり、天を中心とし、天を迎え、み言を、再びなさなければならないからであります。



 とにかく、天のみ言と共に一体になることを願っていらっしゃるのです。それでは、今日統一教会が歩まなければならない道はどんな道であるか。みなさんが、歩まなければならない道は可哀相な道です。その為に、天が立証することのできるみ言を完全に私のみ言として整えなければなりません。そのすべてのみ言の実況を私のものとして体得しなければなりません。み言と、一致された人格はどのようになりますか天の息子であり、娘であるということなのです。天の息子と娘にならなければ僕に対して命令することができません。僕はサタンです。僕は天使長です。天使長は堕落によってサタンとなりましたが、天理の原則は自分がおかれている位置の基準を否定しては絶対にいけないのであります。そのために、天の息子と娘として、立つことができる位置はアダムとエバが堕落したその位置より高い位置です。言いかえれば、堕落する前のアダムとエバよりも高い位置なのです。天使長にも命令をすると、ハイと順応することのできる位置、天と随時子女の因縁をもってその栄光をたたえることのできる位置、そのかくれた愛を受けることのできる位置、そのような位置ですその故に、統一教会が挑戦する位置はどのような位置であるか! なにか信じて天国へ行こうというのではありません。天国に行く前に何をしなければならないか、このような問題を解決しなければ天国に行けないのであります。人格はどのような人格であるかと言えば、サタンを屈服させることのできる人格でなければなりません。それがある制圧された環境内ではなく天と地、霊界と肉界、いつどこででもサタンを屈服させることができなければなりません。皆さん自身にそのような信念がなければなりません。



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