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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

我々は行かなければならない(2月4日)

Feb.4.2018今日の訓読のみ言

        我々は行かなければならない


1967
79日 聖日説教  大阪教会  

 神はこういう堕落した世界を救わんために、六千年の歴史の間、いかに苦労してきたか。我々は神に対して孝行を尽すが、この現実において孝行を尽すだけで、それで済むか。そうじゃない。神は六千年の歴史を通過しながら数多くの我々の先祖を立てゝ、孝の道、忠の道を教えてきたが、我々の先祖は一ときとして善なる孝の位置、善なる忠の位置に立ち得ずして、皆失敗してしまった。それを神自身が引き継いで、ずっと今までの先祖達の失敗による残りなどを、すべて神がとり継いで、これを先頭に立って開拓していったのが神である。

 

 我々は現実における神に親孝行するには、神がいかなる道を歩いて来たかという神の内情を知らなければならない。また、苦しい淋しい、惜やしい、或いは悲惨だったという、歴史的なサタンと人間を中心としての戦いに対する神の心情を知って、今までにかゝわりあるすべての神の苦悶を、我々地上における、現実における人達が、みんな拭いとってしまわなければ、歴史を通しての神を慰めることは出来ない。現実の神であり、歴史的神だから、神の苦悶、神の淋しさ、神の辛さ、そういう問題を、この現世の、そして歴史過程の神の心の痛みとして、我々はそれを取り除いてやらなくてはならない。過去において公なるものが現われなかった、忠なるものが現われなかったから、歴史を代表して、そういう立場をとり、心に掛かるすべての内情を解いてやらないと、現世において神を安らかな神、喜びの神として迎え込れることが出来ないのである。そして、現世において神が苦労なさるすべてのことに対して我々がそれを責任を持って蕩減して、今後我々の子孫に残す罪がないように、これを我々一生において退けてしまわなければならない。

 

そういうような責任をもって、我々は神に忠孝を尽し得る者でなければ、歴史過程を通過し、現在と未来を通過する神を、本当に幸福な立場に立たせることは出来ない。こういうような、恐ろしい程の内的蕩減条件が横たわっているということを我々は知らなくてはならない。

 

 この統一教会で教える復帰原理は、そういう内情を、神の内心に従って知らせるために教えるのである。そして、現実に喜びの神を迎え、あらゆる社会におけるサタンの讒訴条件を我先に打ち、押しのけ、そして今後の世界において、神自らサタンと戦うようなみじめなことがないようにしようとするのが我々統一教会の使命である。そういうふうにするのは、歴史的犠牲になってすべての罪を我れが背負い、現世のあらゆる国のすべての罪を我れが担い、或いは後世に残す、子孫に残すべき未来の罪まで我れが背負って神のみ前に立って捧げものとなり得ふような、いわゆるイエス様が十字架につけられたような、身代わりになるような立場に立つ者でなければ、全体の、すべての罪を蕩減することは出来ない。思えばこれは神々(こうごう)しい歴史の荷が我々にかゝっているということを知らなくてはならない。

 

 こういう、いわゆる縦的歴史において、すべてのことを横的に、六千年間のすべての罪のことを、横的に、現実において、或いは未来を七代表して、これを蕩減しなければならないという使命を持った人が再臨の主である。だからその人は、アダムの身代わりとして涙を流し、ノアの身代わりとして涙を流し、アブラハムの身代わりとして、或いはモーセの身代わりとして、或いは洗礼ヨハネの身代わりとして、或いはイエス様の身代わりとして、或いは二千年歴史の間の数多くのキリスト教会における悲惨な殉教者の身代わりとして、神の心を休めるように(あがな)いをしなければならないのが再臨の主の立場である。そして、歴史的にすべて神に反対してきたサタンが、何一つすることもなく、暦史を通して勝利した、自分が勝ってきたという条件を立てることも出来ないような立場に立ってこそ始めて歴史的な新しい天の勝利圏が始まる。それが個人より家庭より氏族より国家より世界へと進むに違いない。これを思うとき、我々が思いもつかない程苦しい立場であることを、この地上の人は誰もわからない。

 

 こういう摂理をまかしている子供に対して、いかほど神御自身が辛い心でまた思うかというのです。神に孝行するその真心に対するとき、神自身は、つらい重荷を背負っている子供に対して、誰も知ることの出来ない内的心情でもって慰めざるを得ない。それと同じ立場に立つのが再臨の主である。今までのクリスチャンが願っているように、再臨の主が来られた場合、すべてが末来に向かって一変に審かれるというような地位でもって来られるのではない。歴史的に証明される基準の復帰をなし、それから、自分自体においてもサタンと違って、決定的勝利の基準を立てなければならない。こういう過程を知らないでいる。これを思うとき、、我々統一教会は、今こういうすばらしい、神々しい使命感の中に立っているのであります。

 

 だから、その一人一人は、こういう摂理上の歴史の因縁を通して救われた者として、実に貴重なものである。その一人がもしも誤ったならば、昔のアダム・エバが再び誤るような結果がまた現われてくる。そういうような基準の自分達をどうしても残さないように我々は戦いぬかなければならないというのが統一教会の使命であります。そして一人一人が立つところによってサタンが退き、それら全体の足場に比例して悪の世界が退くようになり、日本なら日本のすべてがそうなれば、日本的悪魔はこの世界から除かれる。そういう範囲を広げて、世界的へ世界的へと我々は進んでいかなければならないのが、今後の統一教会の各自の使命であることを忘れてはいけません。

 

 どういう人でも血統的に受け継いで来ているすべてのサタンを屈服させて、神より授けられる新しい血統を受け継いで、永遠なる神の世界に我々は復帰しなくてはならない。神は、いかなる犠牲を払っても復帰を完成しなければならない。我々は復帰しなければならない。神と、それから来られる再臨の主と一体となって、我々もそこに合体して、最高の目的の世界を取り返えさなければならないというのが我々統一教会の全体の使命であることを忘れてはなりません。

 

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