生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
怨讐に対して幸福を祈りました
悲しいこと、苦しいこと、たまい切れないつらい立場にたっても、我々がいつも思わなければならない中心問題は神の心情である。神の心情界においては喜びはまだまだであって、悩みの心情を抱いている。その痛みの心を、いかに慰めるか、これは我々統一信者としての重大な責任である。
だから闘って勝利を得たという立場に立てば、神に感謝しなければならない。今日の勝利は我々によるものじゃない。一から百まで千まで、全てが神による勝利の決定的動機からでた勝利である。
故にそれを知った人達は涙ぐましいところを通過しながらも、感謝の念を持たなければならない。それでイエス様は十字架の路程を通過しながらも感謝の念をもったのです。十字架の後にも感謝の念が残っていなければ、復活できないというのです。
だから我々は闘ってもまだ闘わなければならず、闘ってまだ感謝をもって世界に向かって闘いの進路を続けなければならない。こういう立場に立っているのが復帰の過程である。皆様はこの点を忘れてはいけません。
「神の心情の境」 1967年6月12日 先生御一行歓迎会 東京教会
イエス様は怨讐に対して幸福を祈りました。両手と両足にくぎを打ち込んで、頭にとげの冠を被せた彼らに対して幸福を祈りました。槍で横腹を刺す無知な怨讐に対して幸福を祈りました。なぜそうしたのでしょうか?
「懐かしきエデン」 『文鮮明先生み言選集第六巻』
イエス様が神の愛をもった神の相対者、第一の子供として生まれた以上は、サタンの前に立って、自分を殺そうとする怨讐に対して祈ったということは偉大なことだ。偉大だ、それをしたんだから。イエス様は死んでも、怨讐に対して敵愾心をもったら摂理は逆転する。愛の主張でもって乗り越えたんだから、サタンはそこから屈服する。
神の子供になり得る資格が立つ。
御旨と世界 「全体蕩減」 1983年4月3日
神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか。この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。
それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。
イエス様は「ローマよ、あなたは力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架にかかりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。
「真の神様の祖国光復」より抜粋
神の祖国をあなた方の手で取り戻すには、怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛するとは、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家、世界の怨讐を愛するということです。このような原則を通さずしては、理想の国は現れることができないということを知らなければなりません。
その道の途上において、敵対するものがあったとしても、私は遺憾には思っていません。アメリカのある人々は、私に対して友好的ではありませんでした。私は決して呪いの一言も口にしませんでした。決して不平も言いませんでした。復讐もせず、人を悪く言うこともしませんでした。
私は、迫害が甘美なものだ、という秘密も学びました。正しい心でそれを耐えると、戦わずして常により多くの同志を勝ち取ることができるからです。
「神の祖国」 1980年2月21日 ワールド・ミッションセンター
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