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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

愛の心をもって怨讐を愛しなさい(2月9日)

Feb.9.2018今日の訓読のみ言

愛の心をもって怨讐を愛しなさい

天聖経

 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか。

 

 この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。

 

 しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛することができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動であるということを皆さんは知らなければなりません。

 

 今までで、神様が最も愛することのできる人は誰でしょうか。イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示してくださいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきであるというものでした。イエス様は「ローマよ、あなたは力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架にかかりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。

 

 そのような思想は、ローマの兵士たちに対して「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦したまえ」という驚くべき宣言として現れたということを知らなければなりません。イエス様がそのようになさることによって、世界のすべての国がお互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることができる一つの原型、または模範となりました。

 

 イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないということを知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているということを知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているということなのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、その時ごとに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるというのです。

 

 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち神様の祖国の主権復帰はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。それゆえに「神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こう」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種を蒔けば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つということです。これは自然の道理なのです。

 

 神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないということを皆さんは知らなければなりません

 

神の祖国をあなた方の手で取り戻すには、怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛するとは、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家、世界の怨讐を愛するということです。このような原則を通さずしては、そのような理想の国は現れることができないということを知らなければなりません。

 その道の途上において、敵対するものがあったとしても、私は遺憾には思っていません。アメリカのある人々は、私に対して友好的ではありませんでした。すべてが終わったとき、私はこのことのゆえに、これ以上のことを神様に報告しようと思っています。もし、私が平和的で友好的な環境を与えられていたならば、何も劇的な実績は生まれません。彼らのゆえに、私は自分を確かに証明することができるのです。どのような迫害の中でも、私は決して呪いの一言も口にしませんでした。決して不平も言いませんでした。復讐もせず、人を悪く言うこともしませんでした。


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