生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
核戦争よりももっと恐ろしい戦争
「宇宙主管を願う前に自己主管完成せよ」
1997年3月25日 初版 発行
心と体の戦いは、大東亜戦争よりもっと危急であり、核戦争よりももっと恐ろしい戦争です。その戦争は、休戦もありますが、ここには休戦もなく、終戦もありません。我々の人生がこの地上に存続し始めたその日から、終わるときまで、我々の心の根本には休戦もなく戦争が統いているのです。このような人たちが家庭をなし、宗族をなしたので、もっと戦うようになり、このような民族と民族が合わさったので、もっと戦うようになり、国家と国家が合わさったので、もっと戦うようになりました。(19―287)
今までの人類歴史は、戦争でつながった歴史でした。ある一日も、戦争が終わる日がなかったのです。その戦いの根拠地はどこか? 体と心です。体と心が戦いの根拠地になることにより、個人・家庭・宗族・国家がそのようになったのです。
世の中の戦争の中で、最も大きな戦争は、ヨーロッパ戦争や世界大戦ではありません。「私」を征服するための戦争以上、大きな戦争はありません。この戦争は、六千年も続いているのに、まだその戦いが終わっていません。終わりましたか、終わりませんでしたか? 続けて罪悪の包みだけを更に大きくしてきたのです。そうして、六千年罪悪の歴史が、皆さんに終結しています。では、この罪悪の歴史をだれがひっくり返してしまうでしょうか? 皆さんでもだめなので、それよりもっと大きな力を持ったメシアが必要なのです。神様の息子が必要なのです。(21―189)
皆さんが自分一個体を悪から救うのが、どれほど大変ですか? 現在の統一教会の食口において問題となることは何か? 体と心を中心として、「私」一人を完全に解放させることです。これがどれほど難しく、その戦いがどれほど 熾烈か? この戦いは、米・ソが互いに競争してやる戦いとは比較になりません。民主世界と共産世界が戦うことは問題でもないということです。それよりももっと大変だということです。この戦いは、我々個体から起源しているのです。
このように、個人に二つの輩がいて戦うのと同じで、家庭も二人の輩であり、社会も二人の輩であり、国家も二人の輩であり、世界も二人の輩なのです。これを族譜で明らかにしようとすると、一つは悪の個人であり、悪の家庭であり、悪の社会であり、悪の国家であり、悪の世界であり、また一つは、善の個人であり、善の宗族であり、善の国家であり、善の世界です。このように、きっぱりと分かれました。片方は神を主とした宗教圏内に立っている側であり、他の一方は神様を否定する物質圏内に立っている側です。人がそうなのです。(41―63)
世界のどんな苦難よりも、どのような艱難よりも、その何らかの戦争の被害よりも、体と心の戦いにより生じた被害がもっと大きいのです。心の敗戦による山のような悲しみの敗残物が積もっているということを皆さんは知らなければなりません。一日にも何回ずつ、体との戦いで心がしばしば負けていますが、人々はそれを知らずにいます。しかし、道を歩いていて突き出た石につまづいて倒れたことは一年、いや一生の間忘れず「何十年前にここで私が倒れて足が折れたな」と言い、よく覚えています。言い換えれば、心と体の戦いにより、心が負けたことを忘れてしまい、考えもしない人が多いのです。
このようなことを考えるとき、皆さんがいくら声を大にして叫んだとしても、それ自体は敗残兵の立て札を持っている姿なのです。しかし、本来は心と体が戦って、心が勝利することにより、いつも体を主管するようになっています。それなのにそのようになれなかったため、心と体が各々違う方向を追求するようになったのです。(19―285)
では、戦争の中で最も恐ろしい戦争は何か? 自分を中心として戦う戦争が歴史上いちばん恐ろしく、永遠に統く戦争であるということを知るべきなのです。何、第二次大戦が問題ではないのです。永遠の戦争をしている「私」であるのです。永遠の戦争の一線の舞台に立った「私」であるということを知るべきです。(121―26)
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