生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
「絶対信仰と絶対愛」 1994年10月9日 韓国・中央修練院にて
皆さんが統一教会について考えてみたとき、原理のみ言を中心として、うれしくて「このみ言であれば天下統一は問題ない」と考えて、前後の見境なく、昼夜狂ったような時がありました。その時から数十年がたてば、その時の基準以上にありますか、それともそれ以下ですか? それを皆さんの良心に手を当てて聞いてみなさい。良心は知っています。分からないという良心はないのです。
さあ、死んでいますか、生きていますか? 答えは簡単です。それ以下になっているでしょうか? それ以上に狂って、「南北を統一し、アジアを統一し、世界を統一するために十字架の道は問題ない。私が先にその道を越えて行こう!」と言い得る気迫に満ちているかということが問題です。それでこそ、生きているといえるのです。生きていますか、死んでいますか? 自問自答してみてください。停止は死亡と通じます。生きているものは育つようになっています。
統一教会員の顔つきを見ると、萎縮しているように見えます。一週間断食はなぜしたのですか? 一週間断食の、七日目の夜一二時になれば、お粥やご飯に目と体と心が傾いているのであって、神様のみ旨を思い、神様が寂しい立場にあるので解放し、世界がサタンの地獄に向かっているのを解放するために、それを一層考えながら、その峠を越えた人が何人いますか?
ご飯が貴いことを知ろうとして、断食をしたのでしょうか? み旨の道において、それ以上に難しい道が、今後自分の目の前に近付くのを越えるための精神的な姿勢を備えるためなのです。それを土台として、ケープ・ケネディの人工衛星発射基地と同様に、そこから跳躍ではなく、飛躍するようにと言ったのです。
皆さんが韓国にいれば、先生に負けないように努力すべきなのではありませんか? 韓国を誰が救ってくれますか? 先生が世界を救うために出ていけば、皆さんは韓国だけでも救おうとしなければなりません。先生のような体を持った人が多くいるのに、どうしてできないのでしょうか。
先生のみ言はみ言のまま、流してしまいました。そのみ言が讒訴する道を、どのようにして避けるつもりでしょうか? 先生はみなやって指示したのです。気ままに語ったようなみ言ではありません。み言を現実化できないとき、そのみ言が皆さんを審判するということを知っていますか?天国に入るのを妨げて、「このような条件を越えたか!」というのです。
皆さんは死んだような状態ですが、み言は生きています。数十年の間、韓国教会に指示したすべての重要項目を選びだしなさい。(はい)。それで、ここにいる責任者たちに配布して暗記させなさい。(はい)。これからでも、その峠を越えなければならないのです。そのみ言は死にませんでした。
先生の相対的価値を設定するために命令したのです。そうして、同じ天国に入るために準備したのに、み言はみ言のまま置いて、対象的実体はありません。ですから、先生が再創造しなければ、行くべき道を行けないという運命に陥るのです。これではいけません。一度神様が選んだのに失敗した者は、二度訪ねて使う道理がないのです。
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