今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

真の子女になりましょう(3)(3月10日)

Mar.10.2018今日の訓読のみ言

真の子女になりましょう(3)

1969420日 聖日説教 松濤本部にて

 

 復帰路程というのは、個人復帰、家庭復帰、氏族、国家、世界というふうに展開していく。それでイエス様は個人の復帰の目的を完成することは個人に終るのではなく、世界の目的完成という観念をいつも抱かなければならない。個人を復帰するその内的基準は何かというと、自分自体が立つよりも、世界を立たせるということである。創造の目的観念に徹し得たその宇宙観に立って、個人を復帰しようという立場は、アダムより以上の立場である。個人を復帰する基準が全体の目的のためになされのであるから、個人を復帰し得た時には、全体は自然と復帰の基準に立つことができる。

 こういうように出発基準がアダム・エバとは違っていた。人類が行った堕落の道を絶対に、夢にも行かれないことを誓い得る信念に徹しなければならない。そういう信念において、目的に向かう神のみ旨に対しては何の疑うところもない。一年、十年、生涯をかけても疑うことができない。ここに、もし、疑うとか、ほかの理想を要求するとかいう隙間(すきま)があるとするならば、そこから問題の起点になるに違いない。だから、み旨を知ってからは何の疑うこともない。疑おうとして、いくら研究してもそれを疑うことができない。そういうような立場に立たなければならないのがイエス様であった。我々もそれを体験しなければ真の親に対して真の子女の立場にたち返ることはできない

 こうういうふうに考えてみた時に、我々が今まで望んできた、真の子女となるべき基準と、イエス様が孝なる息子として立ち得た基準とを比較して、どの位、差があるかをはっきり知らなければならない。その差が大きければ大きい程、それに比例して苦労をしなければならない。蕩減条件を満たさなければならない。大概の今までの成約聖徒の観念は、自分個人の目的完成だけに立ちやすいということを往々にして見ることができます。そういう立場ではいけない、自分があって世界があるのではない。いつも世界、いつも神のみ旨、これが自分のすべてを支配する原点にならなければならない。(そこな)った道を取り戻すには、その力以上の力ある基準を立てなければならない。その力以上の内的決意と内的原動力を持たなければ復帰の目的は完遂しない。イエス様にとっては、延長されてきた四千年の歴史を取り返すには、それだけの決意をしなければならなかった。そういう基準と我々の今まで信仰してきた基準といかなる差があるかを生活圏内において比較しなければならない。

 我々は何か神の前に果たしたという場合、これを認めてもらいたい。しかし、そのなしたことより、内的心情において神の認め得る決意が問題である。神の認め得る真の子女となるためには、神に抱かれて真なる子女だという名前を付けてもらわなければならない。自分から名前を付けてはいけない。いつ神が私に対して真なる子女という名前をつけてくれるか。自分の名前を呼ばれる時、あるいは呼ぶ時、神がつけて下さった名前として呼ばれ、呼ぶという実体になり得たということから考えなければならない。そして、自分の名前ばかりではなく、自分の存在の基準が、神の愛のふところに抱かれる真の子女として立っているかというそれが問題である。特に日本の食口達にとっては、今後の世界情勢から見て重大な立場に立っている。アジアの運命を、世界の運命を、日本の地を中心として決定することを思う時日本の地に生まれ、日本の地に育ち、そしてみ旨を知った以上は、世界いづれの地にも優れて真の子女となる決意を固めなければならない。世界の情勢は今からはアジアの問題に立ち返り、日本はいつも浮き上がってくる。そういう神の摂理は、日本にいつも、ある願いを望まざるを得ない。その望みの第一の基準は、世界いづれのところより優る真の子女としての権威である。

 それを果たし得るのは平安なる道ではなく、戦いの真只中に立って生死の境目をのりきっていかなければならない。日本のために、世界のために、一死ばかりではなく、千死、万死を踏み越してもなさなければならない使命を感じる自分を発見しなければならない。自分ながら、そういう自分であることを認め、周囲の者も認め、全国が認め、堕落世界が認める基準を通過しなくては、真の子女という名前を付けて下さいと神に申し出ることはできない。だからイエス様以上に難しい立場に立っている自分達であり、イエス様以上の道を行く決意が必要である。そういう決意を持った者が日本に現われたならば、その人は問題になる。神はその人を愛さざるを得ない、その人に、アダム・エバに与えた祝福以上の祝福を与えざるを得ない。それ以上の目的完成のために神御自身援助せざるを得ない。問題はそこから始まる。先生がいつも思っているのはそういう基準である。世の中がどう見ようが、周囲の人が何と言おうが問題ではない。神に永遠に抱かれ得る子女の基準をいかに保ち得るか、それが問題である。自分の体面とか環境とかが問題ではない。その目的基準まで行って見てから、自分としてもう一度考えるべきであって、そこへ行かずして別の考えを持つことはできない心境に立たなければならない。これは自分一生の問題だけではなくして、歴史関係を持っており、過去の歴史だけではなくして、現世の世界が関係を持っており、現世ばかりではなくして、未来が連結されている。

 今までの生涯をかけてきた先生におきましては、平安とか安楽の思いを持つことができない。まだなすべきことがある。夜であろうが、辛い立場に立とうが、それをのり越えてなさなければならない使命の一点がいつも残っている苦しみの立場を避けて、通らなければならない苦労の道を通らないとすれば、それがサタンの起点になるかもしれない。生涯において、その一点をいかにサタンに許さないか、こういう切迫なる思いで復帰の路程を行かなければならない。一瞬一秒でも安心することができない生涯の道であるということをあなた達も知らなければならない。さらに、歴史過程における数多くの先祖達の忠誠の道をすべて連結させて、完成という名前を付けて神に捧げる使命がまたある。それをなし得なければ、歴史過程において犠牲になった人々を復活させることができない。しかし、先生自体がなした基準では、彼らを復活させることができない。彼らの基準に立ってなし得た勝利の基準を認めてから彼らを復活させることができる。だから、復帰の道は難しい。

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