今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

真の子女になりましょう(4)(3月11日)

Mar.11.2018今日の訓読のみ言

真の子女になりましょう(4)

1969420日 聖日説教 松濤本部にて

 

 

 先生は神の前に真の息子として立ち得ているかどうかというと、まだまだその道をさぐっている。世界に目的をなし得るまでは、堕落圏が残っている以上は、真の息子であると自分ながら言うことができない。神が自分に対してそう言っても、自分は神の前に真の息子であると主張することはできない。まだまだ果たさなければならない多くの使命、戦わなければならない多くの戦いが残っている。だから、いかなる迫害が襲ってきても、感謝で迎える心情の基準を今でも持っている。神が我々を解放し、世界を解放し、そして神共に解放なし得た環境的基準に立った時、神は真なる親であり、我々は真なる子女となり得る。その基準までにはまだまだ遠い。これをいかに短期間のうちに果たすかが先生としての使命である。こういう道を今まで開拓してきたし、これからも開拓していかなければならないのが先生の路程として残っている。これがいつ最後の基点をなし得るか。それは先生一人ではなされない。全体基準をいかにして連結するか、これが重大である。今まで六千年の歴史を通過してきた数多くの辛い復帰の路程より以上の辛さが、先生のなすべき平面基準に残っている。

 先生は時々こういうことを感じます。我々の勝利の一角が表われた時、それに向かって全面的な喜びの声を発すりことはできない。本来の目的基準に立っている神にとって、これを天宙共に喜び得るか。そうはいかない。その基準には善なる結果を神に表わしたとしても、それだけで満足できない。世界を越えなければならない。世界ばかりじゃない。数多くの霊的世界がまだ残っている。これまで解放しなければ我々は責任が残っている。この思いを、誰もが、朝めしをする前に思わなければならない。もしも自分一代でこれを成し得なかった場合には、数千代の後孫を通じてなさなければならない使命がある。愛する自分の後孫にこれを相続させるわけにはいかない。それを思うと、我々一代でこれを打切ることができるか、できないか。それを誰よりも辛い内的痛みを感じながら、神に訴えなければならない立場に立っているのが我々である。

 神が全世界を愛する心情以上に、神は日本を愛したという心情の基準に立たなければ日本復帰は不可能である。そして、神は、日本を愛する以上に我を愛するというような基準、即ち、世界より以上、日本より以上に神から愛される自分、というような基準を立てなければ、誰が日本復帰の基準になり得るか。その一人が居なければ日本復帰はできない。そういう親の心情の一点とつなぎ得る真の子女として、歴史を対応し、時代を対応し、未来を対応し、神の今までの辛い復帰路程の痛みの心情を慰めなければならない。その一人を、全世界にも代えられない息子、娘として愛し、そこからすべての問題の解決は始まる。我々は原理によって知っているように、完全なるものが現われれば完全なる相対基準が現われる。だから、神と一体となった完全なるプラスに立ち得る息子、娘があったならば、その相対基準としてすべての息子、娘は現われてくるのが原理の鉄則であるだから完全なるプラスに立ち得る者、それが問題である。

 今まであなた達の内心において、み旨一点に尽きたことがあるか。この道に入ってきて一年、二年、三年、五年、あるいは十年近くなるその期間、夜も昼もこの一点に尽きて、内心的、情的基は日が増すに従って強固なる確信となっているか。そういう基準が立っておれば、年がたつに従ってくたびれることはない。十年たったら十年の内容を持っている決意を持っている。誰もそれも動かし得ない強固な基盤に立った者であることを万人が認めざるを得ない。そこで、自分がそういうような心的基準において日々を過ごし、年数を重ねてきたかということを思う時、今だに神の前に顔を上げることのできない一人一人である。

 そうすると、もしこの甚準に達し得なかった場合にはどうするか。永遠に復帰ができないかというと、その間隙を埋めて、結びつけるために、神はメシヤ思想を歴史過程に残してきた。メシヤとはいかなるものか。それは真の親である。真の親と万人とはいかなる関係になければならないかというと、今まで縦的関係において、神に対する子女関係を信仰でもって願われてきたけれども、その内的心情を同じように平面的関係においてメシヤと結ばなければならない。なぜなら、人間は平面基準において、堕落したのである。だから、歴史過程において数多くの先祖達が結ぼうと努力した心情基準以上の基準において、我々は真の親と平面的立場で関係を持たなければならない。イエス様は縦的心情基準においては神と結ぶことができたが、平面的基準においてそれを果たし得なかった。ここに十字架の道が現われてくる原因があった。だから、縦的より以上に、横的基準をたち返さなければ神の願う完全復帰は望まれない。それをなし得る立場を持つ我々は、いかなる先祖よりも尊い立場である。だから、霊的基準においてなし得た心情より強い横的な心情の結合を保っているという信念に徹しなければならない。毎日の生活基準がアブラハムの神につなられた内的心情以上の強い感覚で生活し得る自分でなければ、アブラハムの目的基準を復帰することはできない。神の心情世界は縦的関係ではない。横的関係をいかに結合させ、神の心情をいかに展開させるか。これを果たすためにはメシヤは神の身代りとして、霊的神にもう一面をプラスする真の親として、地上に来る。これが果たされなかったら復帰はできない。絶対にできない。

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