今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

真の子女になりましょう(5)(3月12日)

Mar.12.2018今日の訓読のみ言

(5)真の子女になりましょう

1969420日 聖日説教 松濤本部にて

 

 復帰歴史において、その時代のなされなかったものは、歴史を通過して後にプラスされる。だから先生が使命を果たそうとすれば、数多くの歴史過程における失敗を勝利しなければならない。それを思うと、先生の歩んできた路程は、内的に、外的に、いかに苦労したかわからない。そういう立場と、自分の立場とを比較してみた場合、あなた達はそれ以上の苦労の道でも楽しんで行かなければならない。先生は韓国という一国の圏内において、時代時代を通過しながらすべての歴史の内的心情を抱きながら、迫害されてきた。そうすれば、我々日本に居る食口達はどういう考えしなければならないか。日本という一国における迫害以上の迫害を世界から迎えるような決心を持たなければならない。そうしなければ、先生自身が日本を認める条件がない。世界に向って進まなければならないの平面的連結条件が立たない。この平面的連結条件を世界へ世界へとかけていかなければならない。だから真の子女は世界的決意を基準として立たなければならない。世界は自分のものである。真なる神の子として祝福された自分の園である。これを犯す悪者があったら許しておかない。その決意が必要である。その決意をあなた達が持たなければ、今後世界へって進み行く先生とは関係がない。それは先生の子供ではない。そうならざるを得ない。先生は生涯をかけて、神の行われる道の前に障害となる悩み苦しみがあったら、これを一身に背負って戦っていく。いかなる苦労の道も、いかなる迫害の道も、生死の境地に立っていく。誰一人助ける者なくしても、失望しない。たった一人神を慰め得るものは我しかいないという決意に徹して今まで戦ってきた。今もそうである。もし世界の人々がなさなくとも、我一人なす。もし、なし得なかったら問題を残していく。今度日本に立ち寄って何を残してくか。何か問題を残していかないとなやない。文という人の人問のためにそれは残して行くのではない。世界のために残して行くのである。たとえそのために日本が滅びても、神のみ旨にプスであるならば、滅び行く日本を結果的には救うことになる。韓国も同じである。神がなされなければならない世界の復帰路程のその一角を果たした以上それは地上に必ず現われてくる。それは摂理上の鉄則である。神の心情圏において、理想圏を切り抜けた基準に立った者は、たとえどんな者でも、それをそこなうことは出来ない。これを保護し従わなければならないのが絶対の鉄則である。そういう基準を残した以上は心配することはない。死しても問題ではない。たとえ死したとしても、それはむしろ結果は早く現われてくる。

 こういうようなことを考えて来た時に、日本の食口達は今後の復帰路程においての内的心情基準がいかに重大であるかを知らなけゞばならない。神の立場に立って現れば、もし真なる子女があった場合には、永遠に見たいし、立てたいし、住みたいし、永遠に善なる事をなしたいものである。神自体がそうならざるを得ない。永遠というものは時間を超越する。目の前から消えて行ってはいけない。いつでも目の前にあるものとならなければならない。だから神は霊人体というものをつくって時間、空間圏界をのり越える活動を可能にした。霊的体験におきまして、距離の問題、時間空間の問題を解決し得る、永遠に見える世界、天国はそういう世界である。その世界がなければ神は苦しみの神である。愛の基準におきまして永遠の喜びを持つことが出来ない。その基準を現実においてなさなければ、目的完成をなし得た生活基準を復帰することはできない。我々原理から見た場合それを成さなければならない。そういうことが果たして可能であるか、可能であると言うんだね。見たい所は見ることができる。いかなる苦しい辛い立場であっても共に住むことができる。これは今迄の歴史上思いもよらないことであったが、今地上の平画的世界においてなし得る段階に入っている。そういう基準が世界的に立って、これが地上天国である。そして神の愛の関係を結び、世界的天国をなし、神が万物を創造した目的を果さなければならない。そのために、あるいは苦労の道が開かれるかも知れない。しかしこれは神の子としての条件を結びつけるために神が我に授けた賜である。神と共にまみえることのできる、共に住み、共に喜びあうことができればこれ以上の栄光はない。それをなし得た者は最も神に愛される条件となる。大概の人は苦労の道はさけて通りたいと思う、平安な道、楽な道を願うが、これでは神願う世界的復帰の条件を満たすことは絶対できない。しかし、誰もが願わない苦労の道を一個人に立っておられる神と関係を結び、世界、宇宙のためになし得る苦労の道を我は完遂して行く、そういうところに貴重なる内的世界、外的世界まで結びつけて行くことができるのである。自分の願いのままではなく神のみ旨のままに成し得たという境地に立ち得た時、その一点に神は働くことができる。今までの悲惨な歴史はたまらない辛さである。責任ある現世の我々は、任せられた使命を果さねばならない。使命ある自分であることを認めた以上行かなければならない。


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