今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

神様の摂理から見た南北統一 7-4-3 二次動員の役事 4婦人動員後の夫の使命(3月19日)

Mar.19.2023 今日の訓読のみ言

神様の摂理から見た南北統一 

第七章 南北統一運動国民連合
第四節 祝福家庭の婦人動員と南北統一運動


三.二次動員の役事


4 婦人動員後の夫の使命

 

 先生と皆さんの妻たちは、一つにならなければならないのです。そのような立場に立たなければならないにもかかわらず、夫たちが手紙を出して帰ってこいと言えば、大問題になるのです。夫たちは妻に「お前は私の妻だから帰ってこい」と言う資格がないというのです。もし、そのようにすれば法に引っ掛かり共に堕落するのです。このような人は今後、統一教団の家庭の中で完全に追放されます。原理がそうではないですか。自分たちが干渉する時ではないのです。「来い、するな、何がどうだ」となってはいないというのです。仮に息子たちが具合が悪くても手紙を出してはいけないというのです。自分が死ぬようになろうが連絡するなというのです。ただみ旨のために先生の指揮下にいて、その期間に完全に一つにならなければなりません。

 

 では、皆さんは、夫たちはどうすればいいのでしょうか。妻に絶対服従しなければならないのです。エバを堕落させた天使長の立場であるので、死ねといわれれば死ぬこともできなければなりません。その張本人なので、死ねといわれれば死ななければならない立場にあるのです。そうすれば復帰されるのです。そのような立場を経ていく時であり、女性に「会いたい、何がどうだ」と言って、行く道において精誠が削減され得るような内容の手紙を伝達しては絶体いけないのです。

 

 彼らに全体的に侍らなければならず、外的にも内的にも助けなければいけません。(四〇―二一一)

 

 夫とはどのようにしなければならないのかといえば、妻が世界的に公認を受ける一時があることを知り、動員されたことを栄光に思わなければなりません。女性によって祝福が成されているので、女性が公認を受けることができない時は、男性も公認を受けることができないのです。妻が公認を受けることができない時には、夫がいてもその夫に対することができず、子供がいてもその子供に対することができないのです。

 

 そのために妻が任地に出ていれば、夫は妻を思いながら昼夜なく祈祷しなさいというのです。「あなたのつらさがすなわち私のつらさであり、あなたの悲しさがすなわち私の悲しさだ」と言えなければならないのです。(三六―二四〇)

 

 祝福家庭たちは、神様に侍るところにおいて過去と同じ習慣的な生活方式で侍ってはいけません。祝福を受けた家庭として、その国のその民族のために、毎日のように祭物を供える祭司長の家庭を代身したという心情をもたなければならないのです。

 

 さらに、祝福家庭の婦人たちが一線に出ています。彼らが出ている一線は、韓国においての一線ではなく、霊的にサタン世界の侵入を防備するための一線なのです。皆さんはこれを知って、自分の妻が一線に出ている立場を思うごとに子供たちを率いて、祭司長の責任を果たすことができる心をもたなければなりません。そのような思いをもって寒い日に訪ねてくれば、民族を代身する贖罪の心でその寒さを先に心配しなければならず、自分に困難がぶつかってくればその困難を自分の困難としてではなく、民族の困難と考えなければならないのです。神様と因縁を結ぶためには祭司長として民族を代身して蕩減路程を行くという、そのような思いをもっていかなくてはならないのです。(四〇― 一八四)

 

 一線に出ている婦人の夫として、あるいは子供を率いている親として、今しなければならないことは何でしょうか。一つの心、一つのみ旨として民族を抱き神様の中心家庭と一つにならなければなりません。そうでなければ、祭司長の責任を担った家庭としての責任をすべて果たせるとは見られないのです。(四〇―一八六)

 

 婦人たちが出て仕事をするところで一番問題になるのは何でしょうか。夫を愛するのかみ旨を愛するのか、夫を思うのか中心者を思うのか、自分の息子、娘を思うのか中心者を思うのかというのが問題になるのです。

 

 彼らが一線に出たのは夫を中心として出たのではありません。どこまでも統一教会を指導している先生を中心として出たのです。自分の家庭においては、いくら考えても考えられないのです。家庭では自分の夫の命令に従い動かなくてはならず、子供たちの後始末をしなければならないので、考えがすべて部分部分に分かれてしまうというのです。そうだからといって、夫自体がそうかというと夫もそうできないというのです。(四〇―一九五)

 

 今動員されて出ている婦人の夫たちは、妻に会いに行きたいという思いがあるでしょう。そこで先生がお互いの出会いを許可するにはしますが、別の二箇所を訪問したあとに、三番目に行って会うことを許可します。分かりますか。

 

 妻がいる所を訪ねて行くには行ってもよいが、他の一箇所を訪問し、また別の一箇所を訪問したあと、三番目に訪ねて行って会うのです。そうしなければなりません。なぜそうなのでしょうか。蘇生、長成、完成の過程を経て会わなければならないからです。その中で一箇所は妻がいる所と近い所を訪問してもいいのです。

 

 夫たちは息子、娘たちに教育をしなければなりません。「君のお母さんは世界で一人しかいない、聖なることのため行かれた。このお父さんもお母さんが行く道に従い、君も親が行く道に従わなければならない」と涙の教育をしなければならない。

 

 「お母さんは国のため、世界のために苦労の道を行くのです。冷たい風が吹いてくるこの冬の夜にも、お母さんは寒い部屋でに横になっているかもしれない。私たちはこのように暖かい部屋で布団を敷いて寝ることを申し訳なく考えなければなりません。お母さんがあのようにするのは私たちを生かしてくださり、我々が行く道を開拓してくださるためであり、お父さんがよくなることもあなた方がよくなるためである。そのような君のお母さんは、世界一のお母さんだ」と、このように夫たちは子女たちを教育しなければなりません。「この次には、お父さんもその道を行かなければならないので、君も大きくなったらお母さんが行く道に続いて共に行こう」と言いながら、お母さんを中心として父子の関係、あるいは父と娘の関係に涙の因縁を結ばなければなりません。そうすることで、この家庭がお母さんの道を相続することのできる家庭になるのです。夫たち、分かりましたか。(三八―二九二)


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