生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。
強く雄々しくあって、失った福地を回復しよう
『文鮮明先生み言選集第二巻』
モーセが60万イスラエル民族の代表として立ったと同じように、統一教会において先生もモーセのような使命をもっているのです。モーセ路程を思い起こしてみなさい。
御旨と世界730
モーセ以後、数千年の歴史を経ながら預言者たちがこの地上に送られた目的、また世界を代表してイエス・キリストがこの地上に来られた目的とは何かといえば、神様の御苦労と嘆きを代わりに負うことであり、人間と万物の嘆きを代わりに負うことであったのです。ところで、どこの誰が、イエス様が万民を代表して現れた条件的な方であることを知っていたでしょうか。イエス様が、4000年間嘆いてこられた神様に代わって、サタンに対して勝利の条件を立てる方だということを誰も知らなかったのです。
それでは、今日あなた方が求めるべきこととは何でしょうか。神様の嘆きと人間の嘆き、そして万物の嘆きを解怨してあげられる、その一人のお方を求めなければなりません。そうして皆さんがその方と一体の関係を結ばなければならないのです。もしそういう者になれなければ、皆さんから希望も、神様の栄光も見いだすことはできません。
このような使命をもって来られた方がイエス様だったのに、神様が4000年の間苦労して選んでおいたイスラエル民族、ユダヤ教団は、どうしたのでしょうか。神様の名前を呼びながら、「神様のためだ」と言う彼らが、来られたメシヤ、天と地にたまった嘆きを解怨する一つの中心を不信して、その方の前に罪悪の反旗を翻した事実を皆さんは知らなければなりません。
イエス様が来られるまでの悲しい歴史と、この悲しい歴史を解怨しなければならない天倫の内容を知っていた民だとするなら、イエス様を十字架にかけはしなかったのです。また、イエス様が十字架にかけられるようになったときに、右側の強盗がイエス様を神様の息子として証すのではなく、そばで仕えていた聖徒たちがイエス様を証して助けなければならなかったのです。ところが、当時そのような責任を果たした弟子がいなかったために、今日私たちがそのような責任を果たさなければならないのです。
今日まで神様は、人間の嘆きを解怨し得る一人の方をこの地に送るために苦労され、人間はそういう方が現れることを望んできました。これが、神様の摂理歴史であると同時に人類歴史なのです。
今日こういう使命的な摂理観から見るとき、モーセは、エジプトからイスラエル民族を率いてカナンの地に入っていき、カナン七族を滅ぼさなければならない運命に置かれていました。また、イエス様はモーセが立てたその民族復帰の基台の上に世界復帰の目的を完遂するために来られた、ということを知ることができます。
今日、砂漠や荒野のようなこの地、パロ宮中のようなこのサタン世界にも、そういうイエス様のみ旨が現れているのです。しかし、イスラエル民族がモーセを指導者として完全に立てることができなかったために、モーセと共に神様の権能をもってヨルダン川を渡り、カナン七族を滅ぼして天国を建設しなければならないにもかかわらず、それができずに荒野にとどまるようになりました。それと同じように、今日、天国を建設する使命を十分に果たせない人は、カナンの地に入っていくことができず、荒野にとどまるようになるという事実を、キリスト教徒たちは知らずにいます。
それでは、荒野路程にあったイスラエルの60万の民衆が、モーセと一つになれなかった怨恨の条件とは何だったのでしょうか。それは、イスラエル民族の中に、怨讐の懐で暮らしていたエジプトでの生活を懐かしがる群れが現れて、モーセの行く道を遮り、天倫の道を遮ったことだったのです。
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