今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

良心が躊躇することをしてはならない (12月30日)


                                                         自叙伝238 
 

 貴い一日一日を、私たちはどのように生きればよいのでしょうか。誰もが渡っていかなければならない死の境界を越える前に、必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。
 
  最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。何が罪なのかという問題は、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです
   自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていきながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、その時にしていることはすぐ止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。
  良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。


良心主体ぶのである  
                                      原理講論 P.52

古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。このような力は、誰もさえぎることができないものであって、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであるから、悪を行なうときには、直ちに良心の呵責を受けるようになるのであるもしも、堕落人間にこのような良心の作用がないとすれば、神の復帰摂理は不可能である。では、このような良心作用の力は如何にして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。即ち、良心もまた、或る主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々は、この良心の主体を神と呼ぶのである

 

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