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今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

歴史的な罪を悔い改める道を 教えてあげるために現れた (2月11日)

  「真なる人と罪」  197385日 『文鮮明先生み言選集第68巻』



 イエス様はどのようなお方として来られたのでしょうか真正な息子として来たし、兄さんとして、夫として、それから真正なお父さんとして、真正なおじさんとして、真正なおじいさんとして、真正な王として来られたお方であるにもかかわらず、このお方を捕まえて殺したのです。一人だけ殺しても許されないのに、歴史始まって以来、全体を総合した大王の権威をもって来られたそのお方を殺した罪は、何で許しを受けるのでしょうか。許すすべがないというのです。

 それゆえ、許しを受けられるたった一つの道は、死を覚悟してイエス様のために  生命を捧げ、祭物になることです。その道以外には、許される道がありません。結論がそれです。ですから、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と言うのです。

皆さん、世の中では自分のお母さんやお父さんを殺せば、許されない罪人です。 ところが、このお方は真なるお方です。真なる息子であり、真なる兄さんであり、真なる夫であり、真なるお父さんであり、真なるおじさんであり、真なるおじいさんであり、真なる君王として来た、歴史始まって以来たったお一人しかいないお方です。 人類はそのお方を殺したサタンの元凶たちなのです。そのような罪人がどこに行って、頭を上げ、じたばたしながら、自分の主張をしたりするのですか。

 統一教会は、何をするためにこの世に現れたのでしょうか。この罪を悔い改めることのできる道を教えてあげようとして現れたのですそうするためには、どのような自覚をもたなければならないでしょうか。信仰で救いを得るそのような内容よりも、どのような自覚をもたなければならないでしょうか。悪なる世界を代表した自覚をもたなければなりません。数多くの王を代表した自覚、数多くの夫を代表した自覚、数多くの息子を代表した自覚、そうして、イエス様の前で堂々と自分を主張するのではなく、イエス様に対して生命を捧げようという自覚をもたなければなりません

 そのような立場で死んでいきながらも、イエス様を愛し、人類を愛し、逝こうとするなら、イエス様の前にあって相対的刺激になって、救いの道を訪ねていけるというのです

 ですから、世界を代表した自覚をもたなければなりません。男性も世界を代表した自覚をもたなければならず、女性も世界を代表した自覚をもたなければなりません。歴史的な勝利の祭物にならなければならないという自覚、時代的な勝利の主体にならなければならないという自覚をしなければならないというのです。メシヤを殺したので、自覚しなければならないそのような立場で、殺したそのお方の前で、自分が死んで蕩減し、そのお方の哀れみが自分に及ぶことによって、彼と共に復活の栄光に参与しようという心をもたなければなりません。そうでなくては、天国に入ることができないというのが原則なのです。

 それゆえ、先生が行く道はそれを標準として行く道なのです。眠るにおいて、歴史 始まって以来一番眠らなかった男になろうというのです。苦労をするにおいても、一番たくさん苦労する人になろうというのです。ですから、私はしなかったことがないのです。人間がすることで、できないことがないのです。今までこの復帰の途上において、誰よりも深刻な立場で苦労の道を経て、民族が反対し、世界の人が反対する場で、それを堂々とかき分け、今日のこの勝利的基盤を築いてきたのです。

真なる人になるために、一番下から犠牲奉仕せよ、皆さんは互いが犠牲奉仕し、自分が及ぼすことのできる影響がどのように現れるかを中心として、行かなければ なりませんそのような道を行かなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。そして、真なる人と罪ということを、いつも考えなければなりません。

 自分の子供を指導するとき、「お前、立派な人になりなさい」と教えるだけでなく、 「立派な人になるためには、これこれこのような道を経なければならない」と教えてあげなければならないのですお父さんならお父さんとしての責任を果たし、兄なら兄としての責任を果たし、姉なら姉としての責任を果たすのです。言い換えれば、真なる男性、真なる女性の道を行くことができる、真なる兄さん、真なる兄弟、真なる夫婦、真なる親族の因縁をわきまえて行くことができなければなりません。そして、そのような法度に外れない皆さんになってこそ、順理的な路程を経て、一国の民となることのできる道が生まれることでしょう。

 忠臣は自分の子供を後回しにして、その国の民を育てるのです。それをすることができなければならないのです。また、私たちは和合し、統一しなければなりません。そうすることによって、一国を形成しなければなりません。また、私たちは天の国を見つめて行くので、(相手は)東側に入るというが、自分は西側にいるから、東側と関係ないといっては駄目です。天の国は東西で回っています。立体的に回るのです。それゆえ、彼が私であり、私が彼になり得る、このような理想的な世界に向かっていくので、互いがなくてはならないのです。

 ですから、ただ人知れないうちに、静かな所に訪ね入り、瞑想をしながら、神様と 相談したいし、解決したいのです。人間だけでは駄目なので、神様と共に一勝負し、かえって自然を慕い、かえって天を慕いながら、長年本然の人間を慕いながら行く道が、信仰の道ではないかというのです。

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