『文鮮明先生み言選集第三巻』
神様がこの地に対して悲しんでいらっしゃるのは何ゆえでしょうか。神様が地上に対して嘆息されているのは何ゆえでしょうか。神様はサタンのゆえに悲しまれているのではありません。悪が憎いからといって悲しまれ、罪人が多いというだけで嘆息されているのではありません。
本当の神様の悲しみと嘆息は、神様がいまだに人間たちに対して「私の愛する息子、娘たちよ」ということが言えず、その息子、娘たちが「私の父よ」と呼ぶのを聞くことができないところにあるのです。歓迎され得る環境を備えられないことが、神様の本当の悲しみであることを、皆さんは知らなければなりません。
人間は必然的に本然の真のお父様を求めていくべき運命の道に置かれているのです。
では今、皆さんがどのような価値的な内容をもってお父様と呼ぶのかということを考えてみなければなりません。そして自分が呼んでいるお父様とは、どのようなお方かということも知らなければなりません。
私たちが真のお父様と呼ぶそのお父様は、6000年の間、お休みになることもできずに闘ってこられたお父様であられ、摂理歴史を経てくる間、数限りない苦難の峠を耐えて越えられながら、今日の私一個体を復帰するために苦労されたお父様であられるのです。また地上に生きているいかなる人間も感じることのできない、最大のつらさと悲しみを感じていらっしゃるお父様であることを、皆さんは悟らなければなりません。皆さんがこれをどの程度に実感しているかが、何よりも重要だということを知らなければなりません。
真心を込めて「お父様」と呼ぶ人がいるなら、彼は神様のつらさと悲しみを感じることでしょう。また、神様の悲痛さがその人間に伝わることでしょう。
神様を崇拝する者とは誰でしょうか。今日、終わりの日にある聖徒たちです。また、神様を安息させる者とは誰でしょうか。見るに堪(た)えない私たちです。このように神様の解怨が、私たちの双肩に、体と心にかかっていることを、私たちは知らなければなりません。
このような人間がいたなら、彼が動じれば万物も動じ、彼が悲しめば万物も悲しむことを、感じるのです。このような実感をもって皆さんが、天の前に立って、おそれる立場で「お父様、6000年の怨恨(えんこん)をこの一日に私を見て注(そそ)いでください。6000年の間、敵対してきたサタンを、この私を通して屈服させてください」と言わなければなりません。