今日の訓読のみ言友の会

生涯、真の父母様に侍り、天の摂理とみ旨のために歩まれた神山威先生が、2016年12月12日に聖和されました。「毎日わずかな時間でもいいので、み言を訓読してください」という先生の遺志を受け継ぎ、これまで通りみ言を配信してまいります。

先に犠牲になり、愛し、尽くそうとし、死なんとする人となれ  (1月23日)

「真なる人と罪」   一九七三年八月五日    『文鮮明先生み言選集第六十八巻』


「神様の前に私が愛を受けようといって、神様の愛を受けるのは、愛ではありません。自分が願わなくても、神様が愛さざるを得ない立場で愛を受けることのできるその道をどのように求めていくのでしょうか。愛を受けようと、自分が何かを受けようという人は駄目です。絶対に駄目なのです」

 

統一教会の教会員たちは「食口」と言いますが、いつ皆さんは兄さんとして、いつ姉さんとして、いつ弟妹として愛したことがあるかというのです。「エデンの園がいくら広く、いくら世界が広いといっても、あなた方どうし、兄弟どうし、私たち食口どうし暮らすのを見たい」と言いながら、神様が訪ねてくるに値しますか。神様が記念し、記念するだけでなく宣伝し、「誰それ兄弟はどこにいるか。そのような兄弟が見たいので、私はそこに行って暮らそう」と言える、訪ねてくることのできるそのような兄弟の因縁をもっているかというのです。もっていますか?。

 

マタイによる福音書548節の「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」という言葉は何についていう言葉でしょうか。言葉だけではありません。神様御自身が見たい人は、どのような人でしょうか。一人として息子の愛を受け、一人として兄さんの愛を受け、一人として兄貴であるとか弟の愛をみな受け、一人として妻と夫の愛を神様が喜ばれ得る最高の理想的な場で根こそぎ受けるのです。それだけでなく、神様の愛の中で、息子、娘を愛する真なる父母となり、真なるおじさんとなり、真なるおじいさんとなり、真なる王になるのが願いだというのです。

 

 神様の立場から、皆さんをそのような観点から見るとき、どれほど差があるでしょうか。それは皆さんがよく知っていると思います。自分はどの級にいるかということをよく知っていると思います。ですから、「平和をつくり出す人は神の子である」という言葉を私たちに教えてくれたのです。

 

 なぜ平和をつくり出す人は神の子だとおっしゃったのでしょうか。平和をつくり出そうとすれば、主人以上の役を果たさなければなりません。十人の複雑なことを和解させようとすれば、十人以上の十字架を負わなくては、和解させることはできないのです。そうなるのです。どういうことかというと、十字架を代わりに負うことのできる立場に立ったかということです。それに従って、和解が生まれるのです。そのように行く道でのみ、神の子が生まれるということなのです。

 

 ここで語っている人は、習慣的な道を行く人ではありません。今までこの原理が提示し、原則が提示する、そのような立場で先頭に立ち、走ってきた人なのです。私は公席で、「神様が文先生を愛さなければ、神様がいらっしゃらない」ということを断言し、この道を歩んでいるのです。そのような道を今まで開拓してきた人なのです。

 

 皆さんを愛するにおいて、この道理をどのように経ていくのでしょうか。神様の前に私が愛を受けようといって、神様の愛を受けるのは、愛ではありません。自分が願わなくても、神様が愛さざるを得ない立場で愛を受けることのできるその道をどのように求めていくのでしょうか。愛を受けようと、自分が何かを受けようという人は駄目です。絶対に駄目なのです。

 

 「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と言いました。もてなしを受けようとする者は駄目です。もてなそうとする者は、もてなしを受けるようになるのです。


 

「公開質問状(4)」

 

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